リュミエールは画廊の仕事をしながら、休日は広場で絵を売ったり、裕福な商家の子どもたちを相手に絵を教えたりしていた。画家として生計を立てるという彼の夢は叶ったわけではないものの、かなり近い位置にいると言える。上海から巴里に来て半年になるのに、オリヴィエは、未だにギャルソンのまま、日銭を稼ぐのが精一杯だった。

 リュミエールのアパルトマンに転がり込み、家賃は当然リュミエール任せである。
“目標があってギャルソンをしてるんならいいんだけど……ワタシにも夢があったんだけど……”
 オリヴィエは、上海でリュミエールと共に何度も繰り返し語り合った事を思い出す。

“小さないい感じの店を持ちたいんだ、自分で作ったものを置くんだ、装飾品のね”
 けれど、実際に巴里に来て、冷静になってみれば、自分の店を持ちたいだけなのか、装飾品のデザイナーとして身を立てたいのか、いまひとつ曖昧な気持ちになっている上に、その目標に向かって何をしたらいいのか判らない自分がいたのであった。
 
 鬱々とした気持ちのまま、オリヴィエは、クリシー通りからそれて北の小道に入る。路地をいくつか入ったところにリュミエールのアパルトマンはあった。蔦の絡まる外壁の壊れ掛けの木戸をあけて些やかな中庭を持つ古い五階建ての建物に入る。一階には大家であるの女主人の住居になっていて、その最上階にリュミエールとオリヴィエの部屋があった。入ってすぐに居間。古ぼけたソファとテーブルのある居間の隅に小さなキッチンがあり、その右奥がリュミエールの寝室、左が洗面室兼、風呂場がある。もう一室、狭い部屋があり、リュミエールはそこをアトリエ代わりにしていたのだが、オリヴィエがやって来てからは、その部屋を解放してくれていた。バザーで調達したベッドを入れると、ティーテーブルを置くのがやっとの小部屋だが、ベッドから見上げた位置に天窓がついており、オリヴィエはそれがいたく気に入っていた。

「さあてと……お腹空いた……。リュミエールはあの調子じゃ、オーナーたちと食事してくるかも知れないし……待ってるのよそうっと」
 オリヴィエは、キッチンの籠の中にある根菜類を使って手際よくスープを作り、朝食の残りのパンとチーズを切り出して添える。何か果物が食後に欲しいところだと思いながら、それらを食べた。決して不味くはない、けれども美味しくもない、腹を満たすだけの食事に、また溜息が出る。

 上海ではかなり貧乏だったとオリヴィエは思う。知恵の木学園でも、独立して水夢骨董堂を持ったあとでも、蓬莱国迎賓館のディナーや、海風飯店のコース料理などは、よっぽどの事でもない限り食べられないものだった。何日も納豆とご飯だけ、もしくは宵闇亭のマスターが渋々、珈琲と共にサービスで出してくれる黴が生える寸前のパンのトーストが続く時もあった。それでも、いつも美味しかったとオリヴィエは思う。それに、ポケットに僅かの小銭さえあればいつも露店の饅頭や果物を買えた。安くて美味しいものが上海にはいっぱいあったけれど……と、思いながら、また溜息が出る。
「露店で買えるのは焼栗ばっかだ。嫌いじゃないけどさぁ、皮を剥くとき爪が汚れるのがやだ」
 ブツブツと言いながら食事を終えたオリヴィエが、汚れた皿を洗い、シャワーを浴びてナイトガウン……本当はただのネル地の浴衣なのだが……に着替えた頃になって、ようやくリュミエールが帰ってきた。
 
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