「ほら、結構、風が出てきた」
 オリヴィエは、裏地のない薄い上着しか着てこなかったことを後悔しながら、リュミエールの働く画廊へと向かった。リュミエールがもし暇そうにしていたならば、彼の仕事が終わるまで少し待った後、一緒に帰ろうかと思ったのだった。

「ふう……」
 本日、何回目かの溜息が、オリヴィエの口から自然と出る。なんとなく気持ちが鬱ぐのは、薄暗くなってきた夕刻のせいだけではない。
 オリヴィエが、巴里に到着してから、季節は、春、夏とあっという間に過ぎた。見る物すべてが珍しく美しく見えた春、こちらの生活にも慣れ、数人の顔見知りやお気に入りの店や場所も出来た夏。
 気候は上海とは違って爽やかだった為、オリヴィエは積極的に街中を歩いて回ったのだった。そして、秋……。

「なんかパッとしないねぇ、夏にはりきっちゃって疲れてんのかも知れないよ」
 とオリヴィエは呟き、クリシー通りを急いだ。人影まばらな小道から通りに出ると、さすがに少しは賑やかな雰囲気になる。そのままずっとまっすぐ歩けば、赤い風車で有名なナイトクラブ、ムーラン・ルージュなどがある歓楽街へと向かうのだが、リュミエールの働いている画廊はそのずっと手前にある。通りに面したシックな店のウィンドウには、イーゼルに乗せた大きな絵が飾ってあり、その額縁の合間から店内が見える。オリヴィエは、絵を見るふりをして、さりげなく店内を覗き見た。

1928年・巴里・モンマルトル

 

 リュミエールは、誰かと接客中らしかった。画廊の奥からまた別の男が現れる。それは、画廊のオーナーで、リュミエールから紹介されていたからオリヴィエも面識があった。オーナーは、図録のようなものを手にし、リュミエールは何かを示し説明している。身なりの良いその客とオーナーに比べれば当然数段は劣るはずのリュミエールの衣装だが、それでもきちんとタイを締め、ツィードのジャケットを着込んだ彼の姿は貴族の青年のようだった。ウィンドウに映る冴えない色の薄い上着姿の自分は、いかにも労働者みたいだ……とオリヴィエは、少し惨めな気持ちになりながら画廊を後にした。
 ゆっくりとムーラン・ルージュのあるあたりに向かいながら、オリヴィエは、自分の鬱ぐ気持ちの訳に気づき始めていた。

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