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「早くっ、リュミエール、その壺高いんだから落っことすんぢゃないよ」
「何が高いもんですか、二束三文で裏の茶碗屋から仕入れたクセに」
「英吉利人なんてこういう東洋的なド派手な壺に弱いんだからさ、あ、ちょい待ち」
オリヴィエはその壺をクルッとひっくり返すと筆を取り、底に【宣】と書いて、フーフーと息を吹きかけて乾かした。
「汚い字……、またそんな事して」
リュミエールは感心しないというように白い目でオリヴィエを見た。
「背に腹は代えられないってね、さ、お待ちかねだよ」
【商売繁盛笹持来】と黒々と書かれた掛け軸に向かってパンパンと柏手を打つと、リュミエールとオリヴィエは、各々、壺を抱えて応接間に入った。
ロココ調のソファと朱塗りの椅子、象眼細工のテーブルと脈絡のない家具に囲まれて居心地が悪そうに座っている紳士は、二人が部屋に入ってきたのを見ると、手袋を、はずし深々とソファに座り直した。
この日の客は、公務で上海にやって来た英吉利紳士。帰国する事になったので土産に珍しい物が欲しいとの事である。オリヴィエとリュミエールは店から持ってきた壺を置く。
「伯爵、この壺などいかがでございましょう、普通のお品では、ご満足戴けないから我が店に来て戴いたと思っております、ご覧下さい、この見事な色合い」
オリヴィエは壺を差し出して言う。
「確かに。しかしこの壺は何か謂われがあるものなんですかな？」
「ではここだけの話にしておいて下さいますか？｣
と、オリヴィエは致し方ないというように小声で言う。
「いけません、それは言わないはずでは」
とリュミエールは、打ち合わせ通りにオリヴィエを制する。
「いいんだよ、この方を英吉利紳士と見込んでお話しするんだから」
何やら怪しげな二人の雰囲気に紳士の方は気が気でない。
「実は伯爵、この壺は清王宮より流出の品でございます」
オリヴィエは意味深な素振りで話し出す。
「なんですと？」
思わず紳士は身を乗り出した。
「帝が天津にお移りになる間際に、いろいろありましてね。その一部でございまして」
オリヴィエは控えめに、だが「いろいろ」というところだけは、シッカリとした声で言うと今度はリュミエールが懇願するように紳士に言う。
「この事はぜひ内密に。回り回ってこの店に入った品でございますが、物の値打ちもわからぬ軍人になぞ見つかりますとやっかいでございますし、金に糸目をつけぬ成り上がりの日本人に売るのも悔しゅうございます。ここは真の芸術のなんたるかをご存じの貴方様のようなお方ならばと見込んでの事でございます故」
「ほう。そのような品なれば我が祖国にて待つ父上にも満足戴けよう。してそれが真にそのような品という確たる証拠は？」
紳士は壺を撫でながら尋ねた。
「ほらっ、ここをご覧下さいましっ」
と言うとオリヴィエは壺をひっくり返し、底を紳士の方に向ける。【宣】と一文字書かれている。
「宣とは、宣統皇帝すなわち溥儀［ふぎ］様の事でございますよ〜、お目に止まった品には、このようにお名前の一部を記すのが習わしとかっ」
「ほう、わかりました、戴きましょう。それと、あの」
恰幅のよいこの英吉利紳士は、話がまとまると今度はそれを持ってきたリュミエールの方が、気になる様子である。それを感じとったオリヴィエは、
「あ、そうだ、リュミエール、ちょっと店から、アンティークの汕頭［スワトウ］のハンケチ取って来てくれない？ 伯爵のお嬢様にピッタリのお土産でしょ〜」
と言った。
「ああ、そうですね、では失礼して取りに行ってまいります」
リュミエールが応接間から消えると、オリヴィエは伯爵に小声で言った。
「伯爵〜、奥様には、あのリュミエールが着ていたドレスはいかがでこざいますか？ 明日帰国なさるならば、今からではお作りするのは間に合いませんが、リュミエールの着ているモノをお譲りしてもよろしゅうございますよ〜、伯爵ご自身のお手で、あのドレスを脱がせて戴いてもよろしゅうございますが」
「な、なんですと、それは」
英吉利紳士の顔に何とも言えない微笑みが浮かぶ。
「ほほほ、私どもは物を売るだけではございません、美しい上海での夢もお売りする事がありますのですよ〜ただし、少々お高い夢ですが〜」
リュミエールが店からハンケチを持って戻ると伯爵はシルクハットを被りニコニコしながら帰ろうとしていた。
「あら？ もうお帰りなんですか？」
リュミエールはキョトンとしてオリヴィエと伯爵を交互に見る。
「リュミエール、伯爵はお急ぎの用がおありなんだってさ〜、壺は後で館の方に持って行ってくれるね？ ハンケチもね」
「え、ええ」
リュミエールは不審に思いつつも、客の手前、相づちを打つ。
「では、また後で。失礼しますよ」
と紳士はリュミエールの手を取り、その手に口づけるとルンタッタと帰って行った。
パタンと水夢骨董堂のドアが閉じられると、リュミエールはクルリとオリヴィエの方に向き直った。
「オリヴィエ、どうして壺をわたくしがお届けにあがらなくてはならないのですか？ 配達は貴方の役目では？」
「べ、別に他意はないよ〜、ほら、伯爵の館には西洋の絵なんが一杯飾ってあるんだって、見せて貰えば？ アンタ好きじゃない」
「本当にそれだけ？」
「あ、ああ、そーよ」
「絶対に？」
「う、うん」
オリヴィエは目を反らす。
「痛い目にあいたいらしいですね？」
リュミエールは指をパキパキと鳴らすとジーッとオリヴィエを睨み付けた。
「ごめんワタシが悪かったよ、あの紳士ったらアンタの事、気に入ったみたいでさ、ほら、このタキシードの代金、催促されてるし〜、店の家賃も貯まってるし〜」
「見栄はってそんな服、仕立てるからでしょう、店の家賃も貴方が使い込んだんでしょっ」「ワタシがこういう身なりをしてるから金持ち連中の客が付いてるんじゃないのよう、ちょーっと、酒の酌するだけだからさぁ〜」
「わたくしは男ですってばっ」
「いいぢゃん、向こうが勝手に間違ってるんだしさ〜」
「なら、オリヴィエが行きなさい」
「ワタシでいいなら行くよ〜でもアンタが気に入ったつーんだしさ、もう前金貰ってあるんだから〜」
「怒って殴られたりしたらイヤです」
「なーに言ってんのさ、強いクセに〜ヤられそうになったらこんなモン付いてました〜サイナラ〜って逃げてくりゃいいんだよ」
「またそんな事言ってっ、この前もそう言いましたよね、泣く泣く行ってみれば男色の気もあって、もう少しでわたくしは……」
「それは知らなかったんだってば〜」
「阿片は売らないけど、わたくしの体は売るんですかっ」
「減るもんじゃなし」
「減りますっ」
「えっ、減るの？ 摩耗するとか」
「バカバカバカ〜〜」
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