◎秋の章◎

 

(これは夢なんだ……)
 とオリヴィエは浅い眠りの中で思う。
(誰かがワタシのシャツのボタンを外している。そしてズボンも……。ワタシを裸にしようとしているのはリュミエールだった。リュミエールは口の端を意地悪く歪めて淡々とワタシの着ているものを脱がしてゆく。ついに下着に手がかかる。やめて! いやだ、いやだって……ば、でもリュミエールがそうして欲しいんなら……あんっ)

 すぱこーんっ、と頭を叩かれてオリヴィエは目が醒めた。
「う……ゆ、夢かぁぁぁ、あれ? リュミエール?」
「何が、あんっ……ですっ、気色の悪いっ」
 リュミエールの手には太極拳用のシューズが握られている。
「何だよー、それで今、ワタシの頭、叩いたねっ、酷い……あっ」

 オリヴィエは自分が裸同然なのに気がついた。
「ゆゆゆ、夢ぢゃなかったのか〜、リュミエールっ、あんた……」
 オリヴィエは慌てて、側にあった掛け布団を引き寄せた。

「何言ってるんですかっ、昨日、約束したでしょう、絵のモデルになってくれるって」
「絵のモデルってヌードなのぉ、それにしても寝込みを襲って脱がす事ないだろ〜」
「夕べ言ったでしょう、朝日の中で描きたいからって。いつまでたっても起きてこないからですっ、さっ、スケッチしますから、パンツ、脱いで下さい」

 リュミエールはスケッチブックを開けながら言った。
「やだ、いくらなんでもパンツは脱がない」
「オリヴィエ……この絵画コンテストの優勝賞品は仏蘭西行きの切符だと言いましたよね」
「聞いたよ、でも一人分だけの切符だろ? ワタシは関係ないもん」
「夏に白桜桃下紫綸巾の壺を売って、儲けましたからね、この分で行くと来年の春あたりには、仏蘭西行きの旅費も貯まってるかも知れません……もしわたくしがコンテストで優勝すれば、一人分の旅費が浮くわけですから随分余裕が出来ますね……船底の二等客室ではなく一等で仏蘭西に行けるかも……、あっ、お洒落な貴方の為に新しいスーツも新調できるかも知れませんね……でもパンツが、脱げないなら真の人間の美しさは描けない……優勝はおろか出品さえできませんね……貴方がイヤならわたくしは無理強い致しません」
 リュミエールは溜息をついてスケッチブックを閉じた。

「芸術の為にワタシは脱ぐよっ、決して新しいスーツの為ではないよ〜」
 オリヴィエは潔く下着を外すと、リュミエールの前に仁王立ちになった。

「まぁ……ご立派なのはいいんですが、ちょっと横向いて下さい、正面はいいんです」「あ、そ。こうでいい?」
 オリヴィエは横向きになって左手を腰に右手を頭に当ててポーズを取った。

「そうそう……少し腰を落として、じっとしてて下さいね……あ、綺麗、オリヴィエのお尻っていつ見ても綺麗な線ですね」
「いつ見ても……そゆ事言うとオスカーが悔しがるよ」
 オリヴィエは横向きにポーズを決めたまま言った。

「俺の尻も結構イケるぜ、確かめてみるかい?」
ふいにリュミエールの耳元でオスカーの囁きが聞こえた。例によってリュミエールの体は拒絶反応を示し、オスカーの襟首を捕まえにかかる。が、オスカーはそれをかわすと、リュミエールの背後に回り、両腕を使えないようにリュミエールの体を抱きすくめた。

「離しなさい、オスカー」
 リュミエールはなんとか逃れようとするが、オスカーは渾身の力を込めてリュミエールを抱きしめている。
「嫌だね、お前の背後に回るなんて滅多に出来ないからな」
「オスカー、どーしてここにいるのぉ?」

 オリヴィエは、事の成り行きを楽しみつつ言った。まだ律儀にポーズを取ったままで。「店のドア開きっぱなしだったぜ、奥で物音がしたんで入ってみたら、こういう状況だったのさ」
「わたくしとした事が。新聞を買いに行ってそのまま戸を閉めるのを忘れたのですね、あっ、痛いっ……オスカーそんなに強くするとわたくし……」
 痛いとリュミエールに言われて、オスカーが一瞬怯んだ隙にリュミエールはスルリとオスカーの腕から飛び出した。リュミエールの素早い正拳突がオスカーの腹に食い込むか、というところで、ピタッと止まった。

「ふぅ……寸止めか……ちょっとは進歩したって事かな、俺たちの仲」
 オスカーは参ったというように両手を挙げつつもウィンクしてみせた。
「次は寸止め致しませんよ。こんな朝早くからここに来るという事は何か用事なのでしょう、それを聞くまでは気絶させるわけには、まいりませんからね」

「仰る通りだ……ところでオリヴィエその姿、なんとかしてくれないか、ついムラムラするぜ」
 オスカーは少し嬉しそうに言った。
「オスカー、言っておきますけれど、オリヴィエに手を出すような事をしたら許しませんからね」
「う……」
 リュミエールに睨まれてオスカーは仕方なく頷いた。

「で、用事って何?」
 オリヴィエは紅いパオを着ながら尋ねた。
「今日の午後、競馬場によかったら見に来ないかと思って」
「あ、そっか、秋のステークスだね、でもワタシたちどこの倶楽部にも所属してないよ、そういうのは入れないんだろ? いつも外の柵から見物さ」

「特別招待状を手に入れたんだ、中國人となると無理だか白人のお前たちなら入れるさ」
 オスカーは上着のポケットから招待状を取り出して言った。
「中央観覧席で見られるんですか? オリヴィエ、わたくし行きたいです、時間があれば馬のスケッチなどもしたいですし」
 嬉しそうにリュミエールは言った。

「そうだね、ワタシも行ってみたいな、上手くいけば儲かるかも知れないしー」
「そうと決まったら、わたくし、ちょっとご近所まで用足しに行って来ます」
 リュミエールはオスカーに小さく頭を下げるとそそくさと出掛けて行った。リュミエールがいなくなるとオスカーは煙草の火を付けながら言った。

「なぁ、さっきの、オリヴィエに手を出すような事をしたら許しませんってどういう意味だと思う? 俺がお前に手を出すと、ジェラシーを感じるから許さないというのか、お前の事を好きだから許さないというのか、どっちだろう」
「後者だね」
 アッサリとオリヴィエは靴下を履きながら言った。
「やっぱりそうか」

「悪いけどねぇ、オスカー、ワタシとリュミエールはいつも一緒に寝てるし、風呂も一緒に入る時もあるんだよー」
「そりゃ、ただベッドがひとつしかないとか、一緒に入れば湯が冷めないから経済的とか、そういう事でだろう。でもうらやましいぞ、俺は」
「ふふふ〜、でもね、オスカー、リュミエールもアンタの事は嫌いじゃないんだよ、本当に嫌いだったら投げ飛ばしたり、殴ったりしないよ。前に働いてた工場でリュミエールに言い寄ってたオヤジなんかね、触るのも汚らわしいって、物干し竿でぶん殴ったんだもん」「ひ……それでそのオヤジは?」
「知らない、その後すぐにワタシたちクビになったし。死んでないとは思うけど。だからね、リュミエールがオスカーにそういう事するのは結構本人も楽しんでるとこあるかもね、ワタシは脈アリと見たね〜」
「本当か、じゃ、あきらめずにプッシュプッシュだな」
 オスカーは嬉しそうにそう言うと、競馬場の招待状をオリヴィエに手渡した。
「じゃ、俺は用があるんで失礼するぜ、またな」
 オスカーが部屋から出て行くと、オリヴィエは招待状をヒラヒラさせながら言った。
「ちょーち、サービスしちゃったかな〜」

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