水夢骨董堂細腕繁盛記外伝 『花影追憶』 
  リュミエール回想録/冬の君子花
 

 結局、仏蘭西租界内にある学校に願書を出す間際になってわたくしは、園長先生に画家の事を伝え、ぜひ行きたいと申し出ました。園長先生も喜んで下さるに違いないと思っておりました。わたくしが絵が好きで仏蘭西に行く夢がある事はご存じでしたし、今までわたくしのする事で反対された事など一度もありませんでしたから。
 けれども園長先生は、静かに、でもハッキリしたお声で「それだけは反対する」と仰ったのでした。お顔はいつものように穏やかでしたが、有無を言わせぬお声でした。
 ずっと後になって、高名ながらもその画家には男色のよくない噂があったと言う事を知りましたが、その時は知る由もありませんでしたので、わたくしは気が動転してしまい、言い返す事も出来ずに「はい、わかりました」と答えました。

 そして丁度その時に、年下の子たちが宿題を見て欲しいとわたくしの袖を引っ張りましたので、そこで話は断ち切れとなってしまったのでした。 わたくしは、子どもたちの宿題を見てやりながら、先生が反対なさった事の理由を考えていました。
 
 もう立派に稼げる歳でしたから、やはり稼ぎ手としてのわたくしを手放したくなかったのだろうと卑しくもそう思いました。わたくしがいなくなれば、子どもたちの面倒を見たり、家事をする手が減るのは学園としても痛い事だと。そういう結論を自分勝手に出し、ふと顔を上げますと、隣の部屋で暢気に子どもたちとカルタ取りをして遊んでいるオリヴィエの姿が見えました。オリヴィエとは同じ仏蘭西人という事で、わたくしたちはまだ見ぬ仏蘭西の地の事や、将来の夢を語り合ったりしておりました。
 
 オリヴィエは学園に転がり込む様にやってきて四年ほどでしたが、元来の華のある性格のせいで皆から慕われておりました。子どもたちは勉強の時はわたくしを、遊びたい時はオリヴィエをと、無意識のうちに使い分けているようでした。オリヴィエが遠くにあったカルタを足で取ると一斉に皆の笑い声が致しました。 園長先生もお笑いになっており、もしもわたくしがそういう事をしたらきっと、行儀が悪いとお叱りを受けたであろうに、同じ事をしていてもオリヴィエは叱られないと思うと、わたくしの心の中はオリヴィエへの嫉妬でいっぱいになりました。
 
 わたくしは学校の勉強の他に、学園での家事や子どもたちの世話、それに園長先生から、西洋のマナーや語学、武道の特別授業を受けておりましたので毎日が忙しく、蝶のように自由にしているオリヴィエが羨ましかったのです。
 
 考え込むうちに自分ばっかりが、損をしているような気にさえなってきたのでした。そしてこんな事を思っているのに顔だけはいつもと変わらぬようにニコニコとしている自分にも嫌気がしていました。わたくしは子どもたちの宿題を見終えると、黙って学園を出ました。そのままあの画家の所へ行くつもりでした。
 

 
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