１９２７．９．８　Wednesday
　蓬莱国賓館・最上階

「……と言うわけだ」
　蓬莱国賓館最上階のジュリアスのプライベートルームに通されたカティスは、さきほどオリヴィエから聞いたことをジュリアスとオスカーに話した。
「いよいよ動き出しましたね、ジュリアス様」
　まだ腕の包帯はしたままだが、もう普段の通りの顔色をしたオスカーが気合いの入った声で言う。
「これからどうするつもり？」
　オリヴィエは、カティスに尋ねる。
「ヤツは明日の朝、水夢骨董堂にやってくる。ジュリアスとの話し合いはついたと嘘をついてそこそこの値段で玉を買わせろ。そうだな……千元くらいか」
「千元って……」
　オリヴィエとオスカーは、唖然とするが、ジュリアスは「妥当な所だな」と呟く。千元あれば蓬莱国迎賓館の部屋を一年間リザーブできる金額だった。オリヴィエやオスカーにとっては夢のような高額である。
「千なんていくら何でも高すぎるよ。あんな小さな水晶玉に。バカにするなと怒り出すよ？」
「オリヴィエ〜、お前、本当に貧乏なんだなあ」
　カティスが呆れたように言う。
「失敬なッ。庶民の感覚を失うと選挙に出ても当選しないよッ」
「そうか……気をつけよう」
　どこまでが本気なのかわからない二人の会話の横で、ジュリアスが静かに「この私を退かせてまで手に入れようとする品の代価としては、千でも安過ぎるくらいだ」とサラリと言う。
「ジュリアス様が言うと納得できる……」
　オスカーは感心したように頷く。
「ジュリアスは、千以上なら退くと言った……そういう事でいいな？」
　カティスは、ジュリアスに再確認する。
「ああ。かまわない」
「でも……ヤツが断ったら？」
　オリヴィエは、やはりその金額は高すぎると思っている。
「断らんさ。確かに、たかが水晶玉に千元は馬鹿げた額だけどな。ジュリアスを退かせてまで買った……ああいう手合いはそういう所に価値を見出すんだ。それに頃を見計らって俺が店に行く」
「アンタが？」
「突然俺が現れたならヤツは動揺するだろう。で、俺も水晶玉が欲しいと話を切り出す。で、散々煽ってやろう。ヤツは退くに退けなくなる……と」
「ははあ、なるほど……ね。千元まんまと戴くわけだねえ。ふふ」
　分け前はこの場合、どのくらい貰えるのだろうとオリヴィエはちょっとワクワクした。
「だが、これで済んだ……わけじゃない」
　カティスが腕を組み、フンッと鼻息荒く言った。
「え？　違う……の？」
「ヤツのせいで、人一人が死んで、オスカーが撃たれたんだ。そんなもんで済むはずないだろう？　それに俺自身も商売上の事で、黙っちゃいられないことになってるからな」
　オリヴィエはジュリアスをチラリと見た。澄ましていてその心中は判らない。

「明日、ヤツが来ても水晶玉はまだ渡すなよ。俺が煽って、結局諦めて出て行った……と見せ掛けた後、水晶玉はここにはないと言うんだ。千元の値打ちがあると知って驚き、信頼出来る占い師に見せた所、これはとてつもない品だと言われて一日だけ預からせてくれと言われた……、そう言うんだ」
「アイツ、怒るよ？」
「いや、怒らんさ。自分が手に入れようとするものをそんな風に言われたら、嬉しいもんさ。で、これから一緒にその占い師の所に取りに行きませんか？　何ならついでに占ってみませんか？　と、誘うんだ。占い師は誰か手配しようと思ってる。で、ヤツを騙すんだ」
「騙す？」
「まあ、今、ヤツが手がけてる仕事絡みの事を言い当てさせて信頼させて、な」
　カティスは何か考えがあるらしくニヤリと笑う。
「しかし、その占い師って信頼できる人物ですか？　後から寝返ったりすることは？」
　オスカーはあまり感心しない口ぶりで言った。
「まあ、この計画は俺たちの間だけで収めたかったが、仕方ない。なるだけ口の堅い占い師を早急に手配するよ」
「それなら私に心当たりがある。口の堅い占い師で、信頼は於ける。私の事を疎ましく思ってはいるようだが、裏切りはしない」
　ジュリアスの眉間に皺が寄っている。皺が寄るほど口にするのが嫌な人物なのに信頼できるってどういうことだ？　と思いながら、カティスたちはジュリアスを見る。
「クラヴィスだ」
　とその表情のままでジュリアスが言った。
「クラヴィス……って、宵闇亭のマスターじゃないですか！」
　オスカーとオリヴィエは同時にそう言った。
「アレは、占いを得意とするのだ。それで生計を立てようとすれば出来るほどに」
「へええ……」
　オリヴィエは思わず間の抜けた声をあげた。
「宵闇亭なら俺も知ってる。美味い珈琲を飲ませる店だな？　それがどうして？」
　カティスは、ジュリアスとクラヴィスの関係を知らない。
「父の再婚相手の子がクラヴィスだ。つまりは一時期、アレと私は兄弟として育った。父もその義母も他界した後、いろいろあって今はクラヴィスは、セイントの人間ではないのだが」
「ははあ……」
　そこらあたりのお家騒動は聞かなくてもなんとなく判る。カティスは曖昧に頷き返した。
「クラヴィスの母は露西亜人で、ボヘミアあたりの流れを汲む家柄だったと聞く。タロットや水晶占いが得意で手ほどきを受けたそうだ。アレには子どもの頃、占って貰ったことが何度もあるが、よく当たるので驚いたものだ」
「マスターったらぜんぜんそんな素振りみせないよね？」
　オリヴィエは、オスカーに向かって言った。
「ん……だが、俺が閑な時間に行った時、タロットカードをしていたのを見たことがあるぜ。えらく年季の入ったカードだった。手慰みだと言ってスッと片付けたけど」
「緋色の蔦模様のものだろう？　母上の形見だ。良い未来だけが見えるとは限らない。良くない気配が感じられる時もあろう？　アレが人の事をあまり占わなくなったのもそれに由来する」
　ジュリアスは、少し悲しそうに目を伏せた。
「それなら協力してくれますかね？　嫌だと言うかも知れませんよ？」
　オスカーはクラヴィスの顰めっ面を思い出して言う。
「占うことそのものが嫌になったわけではないと思う。方角などは気軽に占ってはくれるのだ。仮にも兄であった私の頼みだ、嫌とは言わないだろう。……たぶん」
「よし、ぜひお願いしよう。これから行って口裏合わせの打ち合わせをしようかと思うんだが、ジュリアスの都合は？」
「一時間ほどなら時間が取れる、行こう。たまにはアレの珈琲も飲みたい」
　カティスとジュリアスは頷くあった。
「宵闇亭の珈琲か……ここんとこの潜伏生活で飲んでないなあ……はああ」
　オスカーは溜息をつく。
「おや？　オスカー。蓬莱国迎賓館の珈琲は毎日、飲んでいるのでしょ？　それともここのはマズイと？」
　オリヴィエは、小声で意地悪く言う。
「い、いや、そんなことは」
　オスカーはテーブルの下で、オリヴィエの足を踏みつける。
「オスカー、そなたはまだ外には出ない方が良いだろう。もし孫の手下にでも見られたらいけない。あの店は、そういう手合いもよく来ると聞くからな」
　ジュリアスにそう言われて、オスカーは素直に頷いた。
「オリヴィエも、俺と一緒の所を見られるとやっかいだから、もう帰れ。マスターとは話をつけておく」
「うん、判った。ともあれ、明日九時にヤツは来る……」
「上手く芝居するんだぞ」
「まかせといて。こういうことは得意さ」
　オリヴィエは、ニッコリと笑う。上手くいけば千元もの大金が転がり込むのだ。ここにいる頭数で割ったとしてもオリヴィエにとっては大金であることに違いない。腰に手でもあてて、ガハハハ……と笑いたい気分だった。
　

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