1927.9.8 Wednesday
 水夢骨董堂
 
 カティスに呼び出されてから一週間が過ぎていた。上海の猛暑も、九月に入って、朝晩は幾分落ち着きを見せていた。オスカーの怪我は順調に回復しており、銃で撃たれた左腕はともかく、口元の腫れも ひき、頭の包帯も取れていた。行方不明のままにしておくべく自宅に帰れない彼は、蓬莱国迎賓館の最上階、ジュリアスのプライベートフロアの一室に泊まり込み、あれこれとジュリアスから言付かった用をこなしている。そして、水夢骨董堂の二人は……。

「ねえ、例の噂ってもう流したのかなあ?」
「そうですね、あれから一週間ですから、もうそろそろ」
 朝食の納豆をグルグルとかき混ぜながらリュミエールは、壁に掛けてあるカレンダーを見る。
「何か動きがあってもいい頃だよね……あ、これ!」
 新聞を読んでいたオリヴィエは思わず声をあげ、そのページをリュミエールに向けた。
「なんですか? あ……SONカンパニーにより上海一のダンスホール今秋誕生……って、これ例の?」
「そうみたい。ここに社長のコメント載ってる……読むよ……ええっと、『上海には、幾つかのダンスホールがありますが、当ホールは今までにはないゴージャスなものにしたいと考えております。加えてダンサーも美人揃い。特別の専用ホールでは、別のご趣味の方の為、 格別に美しい男性ダンサーも揃え、誰の目を憚ることなく思う存分、楽しんで戴けるようになっております』……って、ただでさえカティスの経営するダンスホールの前に建てたのに、まだ美楽園の向こうを張る気だよ。こりゃ、カティスってば黙っちゃいないよ〜」
 オリヴィエは、興奮して言う。
「なんだか喜んでませんか?」
「この孫って男は、いけ好かないけど、カティスが悔しがるのは楽しい」
 フフン、鼻を鳴らすオリヴィエ。
「意地悪だこと。……でも、本当に上手く行くのでしょうか? セイント財閥や緑グループと対等に渡り合おうとする人が、あんな水晶玉の事を本気にして、手下まで雇って、不可抗力とはいえ人を殺めてまで手に入れたいなんて、わたくしには理解出来ません」
「そうだね。ワタシもそう思う。けど未来が見える水晶玉があったら欲しい気はするけどねー」

 二人が朝食を食べ終え、店の掃除をして、玄関先に水を打ったすぐその後、本日、一人目のお客がやってきた。大体、骨董などいう普段の生活とは無縁のこの店には、午前中は客など滅多にやって来ない。 たまにある場合は、それなりの家柄の婦人などが事情があって、家人に内緒でこっそり小間物を売りたい……などという場合が多いのたが、この日の朝一番の客は違っていた。仕立ての良いスーツを着た東洋人、腕にチラリと見える金ピカのダイヤ入り時計もあざとい壮齢の紳士である。年の頃ならカティスと同じの 、そこそこの男前……、もしやこれは待ち人来たるでは? とオリヴィエとリュミエールは互いにアイコンタクトした後、特上の笑顔で、いらっしゃいませと頭を下げた。そうした場合、大抵の人間の反応は同一である。古ぼけたこんな店に、なんでこんな美男が二人も? と驚くのだ。その男も例外ではなく、「ほぉ」と小さく唸ったあと、とりあえずは、なんでもなかったように、店のものをぐるりと見渡した。

「どのようなものをお探しでしょうか?」
 まずは、リュミエールが、物腰も柔らかく声を掛ける。
「ああ……何か珍しいものはないかと思ってね。そう……ちょっとした……さぼと大きくないもので……」
「ご婦人への贈り物でございますか? それならば螺鈿の小物入れか……、アンティークのブローチなども……」
 それらの置かれている引き出しを開けてリュミエールが勧めてみたが、彼はチラリと見ただけで興味を示さない。
「もしやご自分用では? お見受けしたところ香港あたりで流行しているシックなお色合いのお召し物ですし、ご旅行かお仕事で上海にいらした記念に?」
 香港で流行の色などオリヴィエは知らない。ここらあたりのハッタリは彼の得意とするところである。
「ほお、私が香港から来たと判ったか」
 成金紳士の顔が緩んだ。私……と、きどって言っているが、どことなく無理がある。
「やはり? 香港のテーラーで作らせたスーツは、どことなしかノーブルな感じがしますもので。お客様によくお似合いです」
 オリヴィエの言い様に、リュミエールは一歩後ずさった。ギラギラした男臭さをムンムンさせているこの成金紳士のどこがノーブルなのだろうと目眩すらする。
「君は、口が上手いな。どうだい? ウチの店で働かないか?」
 男はそういうと名刺を取り出して、オリヴィエとリュミエール、双方に手渡した。
 『SONカンパニー代表 リチャード・孫……』
 オリヴィエとリュミエールは互いにチラッと目配せし合う。
「近々、ダンスホールをオープンさせるのでね……今朝の上海日報に大きく記事が載っていただろう?」
「え……ええ」
「どうだろう? 君たちなら、ダンサーやバーテンなんてことはいわない。ただ座ってるだけでもいい。店の経営はこのままで、夜だけ、いや、週末だけでもいい。遊びに来るつもりで」
とたんに眉間に皺が入ったリュミエール。慌ててオリヴィエがグイッと前に出た。
「つまりは綺麗どころの賑やかし……として?」
「話しが早い。もちろんダンサーとして来てくれれば嬉しいが」
 この場合のダンサーは、男性客の相手をして一緒に踊ってやることを意味している。もちろん双方の合意があれば、それ以上のことも……。
「そういうお話しは美楽園さんからも戴くのですが、お断りさせて戴いてます」
 とオリヴィエは微笑みを絶やさずに答える。わざと美楽園の名前をだして相手の反応を見た。
「何? 美楽園! そうか……アイツが、こんな良い玉を見逃すないか……」
 ブツブツと呟いた孫に、オリヴィエは、わざとキョトンとした顔をして見せた。

「まあ、いい。気が向いたらいつでも尋ねて来てくれ。……さて、別に君たちをスカウトしに来たわけじゃないんだが、ここに水晶玉はあるか?」
 ストレートに彼はそう尋ねてきた。
「ございますよ。こちらに……」
 とオリヴィエは、棚の上に無造作に置かれている十センチほどの玉を指さした。虹水晶ではなく、透明のもので、彫刻が施された花梨材の台座の方が上等なものだ。
「いや……そういうのではなくて。最近、手に入れたと噂の……」
 探りを入れるように孫が言うと、オリヴィエとリュミエールは、心中で“キターーっ! ”と思っているが、もちろん顔には出さない。
「ああ……それでしたら」
 とオリヴィエは引き出しから、例の龍虹玉を取り出した。だがもちろん、これは偽物である。カティスの話では、孫自身も本物を知らないはずだった。本物よりも見栄えのする二回りほどの大きさで中に 見える虹光も派手だ。
「おお……」
 と孫は、オリヴィエが布張りのトレイに置いたそれを見つめる。
「これはどういう経路で手に入れたのだ?」
 彼は玉を見つめたまま孫が問うた。嘘の苦手なリュミエールが、オリヴィエに答えてくれと目で訴える。

「先日、城内でまとめて買い付けた古道具の中にありまして。良い虹が浮かんでおりますから鑑定に出した所、なかなか良いお品だと。その筋で、龍虹玉と呼ばれているものに似ていると言われましたが……」
“その筋って……一体……”
 とツッコミたいのを堪えてリュミエールは、オリヴィエに賛同するように頷く。
「龍虹玉ね……。フン、そんな事を知ってるとは、その鑑定士はどこの誰だ?」
「それは商売上の秘密で証せませんが、北京出身の占術師の間では有名な話だとか。でもまあ実際の所、鑑定書もありませんし、この玉の出所は、城内の年寄りの持ち物だったのですから……あ……いえ、なんでも」
 オリヴィエは、うっかり口を滑らした風に、口元を押さえる。
「城内の年寄りの持ち物? それは確かだろうな?」
 孫が思わず反応する。
“手下からの報告では、ババアの持ち物の中にそれはなく、手放した事を含ませるような手紙があり、同時に赤毛の怪しい男がババアと接触していた……、けれどその玉がここにあるということは、チッ……ただ見落としやがっただけか? じゃあ、あの赤毛は本当に関係なかったのか? どうも胡散臭い気もするが……”
 孫はギロリ……とオリヴィエを見た。
「あ、……いえ、それは」
 オリヴィエは、芝居かがった様子で、リュミエールの後にスッと退いた。
「失礼しました。これはお客様のお眼鏡に適うような品ではございませんのです。実は先日、城内で身寄りのないお婆さんが亡くなりまして、その遺品の中にこれがたまたまあったのです。申し訳ありません。そのような品をお見せしてしまして。黙って売りつけようとしたわけでは決して」
 リュミエールはひたすら頭を下げる。完全な嘘ではないから、辛うじてリュミエールはそう言った。
“やっぱりあのババアの持ち物か。だとしたら、これは本当にあの虹龍玉!”
 孫の口元から笑みが漏れる。
「いや、いいんだ、いいんだ。私はこれが気に入った。貰う。幾らだ?」
 孫は上着のポケットから財布を取り出そうとする。
「あの……すみません。でも、これは実は……」
 オリヴィエとリュミエールは二人して、端切れ悪くモゾモゾとしている。もちろんこれも芝居だ。
「なんだ?」
「実は、昨夜遅く……ある人物が先にこれに手付けを……」
「なんだとうっ!」
「申し訳ありません。まさかお気に召されるとは思わず、お見せするだけならと思ってお出したのですが」
「その手付けの倍、いや三倍出す」
「そっそれは願ってもないのですが……」
「なんとか言ってキャンセルさせろ。なんだったら俺が交渉する。どこの誰だ?」
 『私』が『俺』になっていることをオリヴィエは心で笑いながら、困った顔を崩さずにいる。
「その方はウチのお得意様でもあって、金額の事だけではなく……」
「まさか……とは思うがそれは、緑水晶じゃあないだろうな?」
「い、いいえ、違います」
 オリヴィエは否定する。孫は札束でバンバンに膨れあがった財布をポンッとカウンターに投げ出した。
「う、うわあっ」
 見たこともない大金を見てしまった……というふりをしてオリヴィエは驚く。実際、ほとんど見たこともない額なのだが。
「リュミエール、もういいじゃないの、このお方にお譲りしようよ!」
 オリヴィエの『金に目の眩んだ骨董屋』……の演技は完璧である。
「いけませんっ。先に手付けを打たれたジュリアス様に申し訳が……っ……あ」
 リュミエールの、『ついウッカリ顧客情報を漏らしてしまった気の弱い骨董屋』……の演技も素晴らしいものがあった。
「ジュリアス? セイント財閥のジュリアスかっ」
“ちくしょう。噂を聞きつけやがったんだ。そうはさせるか。ともかくこれは俺が貰う”
 孫は水晶玉を鷲津噛み、店を出て行こうとする。
「ああっ、お許し下さい。お願いです。私たちがお名前を漏らしたことが判ると、後々の商売がっ……」
 美男二人は、孫に縋り付く。リュミエールの方は嫌々で思い切り腰が退けているが、オリヴィエの方はツボを心得たもので、片手を彼の胸に、もう片方の手を水晶玉を握りしめている彼の手に重ねた。
「旦那様、もう……お許しを……」
 別の何かを想像させる声色を思う存分使って、そう言ったオリヴィエは、彼の手と体がフッと緩んだ隙に、水晶玉を奪い返した。
“げろげろ……”
 と思いながら、オリヴィエはその場に座り込み、「どうか一日だけお待ち頂けませんか? ジュリアス様になんとかキャンセルできないか話してみますから」と頭を下げた。 そして口を半開きにして潤んだ瞳で孫を見上げる。
「……判った。一日だけ待つ。だが、あくまでも明日の朝には、この玉を引き取れると信じて引き下がるんだぞ。それから、俺のことはジュリアスには伏せておけ。無くしちまったとか適当に理由をつけてな」
 そう言って出て行こうとする孫に、リュミエールが、「あの……お財布をお忘れで……」と声をかけた。
「男が一度、出したものだ。三百ある手付けして取っておけ。ジュリアスとちゃんと話を付けておけ。それから、お前たち……ウチのダンスホールで働くことも考えておけよ。こんな時化た店、店ごと買い取ってやる。いいか、明日は九時に店を開けて 待っておけよ」
「は、ははーーーっ」
 大袈裟にオリヴィエは言うと再び頭を下げた。バタン……と扉の閉まる音がする。
「帰った?」
「ええ……」
「…………なんてヤなヤツ!」
「ええ。最後のセリフだけは聞き捨てなりません。思わず投げるところでした」
 リュミエールはポキポキと指を鳴らす。
「ともあれ、カティスら連絡しないと。午前中なら本社の事務所に必ずいるって言ってたから、すぐにでも」
「オリヴィエが、緑氏の所に行ってくださいね」
 リュミエールは、先手を打ってそう言った。
「ええーーーっ、なんでっ」
 やはりオリヴィエは、顔を曇らせる。
「だって。ガッカリされるのは目に見えてますから。オリヴィエじゃないのかと」
「そうかも知れないけど……」
「それに訪問するのは、美楽園ではなく、南京路の本社ビルなんですから、よもや押し倒されるなんてことは。昔の事はどうだったかわたくしは知りませんが、カティスさんは、さっきの成金男よりかは、ずっとずっとちゃんとした紳士ですよ」
「わかったよ」
 オリヴィエは、渋々承知し、店を出た。
 

次 頁

水夢骨董堂TOP 聖地の森の11月TOP