1927.8.31 Wednesday
 四馬路・美楽園
 
 オスカーの長い話を聞き終えたジュリアスたちは、言葉を出せないでいた。既に彼ーからこの話を聞いているカティスだけが、またも余裕のある態度で、何本目かの煙草に火を付け、その煙とともに、「で……」と言った。皆の視線が集まる。

「西太后所縁の水晶玉。袁世凱も欲しがった未来を予見する秘宝……。人物を違えればまるでガキの頃、夢中で読んだ冒険小説ネタだな」
 小馬鹿にしたような言い方に、オリヴィエは、カチンとくる。
「そんな言い方ないだろ? アンタはあのおばあちゃんに逢ってないからそんな事言うけど、不思議な感じの人だったし、作り話のような感じはしなかったよ」
 リュミエールも同意するように頷いた。
「ま、婆さんの話はともかくとして、どこかの誰かがその玉欲しさに、婆さんを狙わせ、不可抗力とはいえ死に至らしめた。そして、オスカーまで狙われた……っていうのは事実だがな。さて、ここから先は、俺の知っている事を話そう。オスカーにもまだ話してないことだ」
 カティスは、吸いかけの煙草を灰皿に置くと、腕組みをした。
 
「俺の養父は青幇(チンパン)とも繋がりがあったんだが、そのオヤジが死んだ後も、美楽園やその他の遊興施設を維持してゆくには、青幇との絆は断ち切れなかった。店を継いだ時、俺は、まだ二十にもならずの若造だったしな。隙あらば店を乗っ取ろうとする連中から身を守るには、それなりの後ろ盾が必要だった。今はもう処分したんだが、北駅近くに小さな酒場を持っていて、そこは青幇の連中の溜まり場になっていた。そういう店を提供することで、それなりにオイシイ見返りがあったわけさ。で、そこに秀文という若い男が出入りしていた。俺と変わらん年の抜け目のない男でな。自分は袁世凱の息子だと自慢していた……」
 俯き加減だったオスカーやオリヴィエたちの顔が一斉に上がった。

「もちろん嫡子じゃない。酒場女との間に生まれたんだと。で、本名かどうかは知らんが、袁秀文と自慢げに名乗っていた。袁世凱が無理矢理に就いた皇帝の座を追われてからは、コソコソと角の方で安酒ばかりを飲んでいて、いつの間にか名前も孫秀文に変わってた」
「本当なのか……な? 袁世凱の子って」
 オリヴィエは、信じられない様子で尋ねた。
「さあな。だが袁世凱の死後、やけに羽振りが良くなって、香港で店を持ったという噂を聞いたから、もしかすると隠し財産でも転がり込んで来たのかもな」
「では、その孫秀文という人物が、父親であるかも知れない袁世凱から、例の水晶玉の事を聞いて、長い年月をかけて探し出し、その老婦人に辿り着いたと?」
 ジュリアスが、結論を急がせるように発言した。
 
「オスカーの話を聞いて、ふと、そうじゃないか……と思ったのさ。その龍虹玉のことは、その秀文が酒場で言ってたんだ。もっとも誰も見たこともないから、子どもの頭くらいある大きな水晶玉だとか、実はダイヤモンドの事だとか、どんどん話が大きくなってたな」
「そんな昔の事、よく覚えてたね?」
 オリヴィエは、カティスの言葉を素直に聞けず、いちいち突っかかる。
「同じくらいの年の俺が店を何軒も切り盛りしてるのが悔しいらしくてな、酔うといちいち難癖を付けてくる。少しばかし男前なのを鼻に掛ける。高貴な生まれだと言うわりには、金払いも、性格も悪い。仲間内でも鼻つまみもんだったのさ。だから記憶に残ってたのさ。それに……」
 カティスの顔が、俄に険しくなった。
「半年ほど前、上海に進出するからと、フラリ……と挨拶に来やがった」
「ええっ、じゃ、ソイツは今、上海にいるの?」
「ああ。香港で一旗あげたから、今度は上海なんだとさ。SONカンパニー、リチャード・孫……なんて名乗ってやがる。何がリチャードだ、西安の田舎者のくせに」
 カティスの口ぶりから、既に一波乱あったようだと推測したオリヴィエは、探りを入れるような目で彼の次の言葉を待った。が、口を開いたのは、ジュリアスの方だった。

「その人物ならば、私の所にも挨拶に来た。これから顔を合わすことも多かろうと好意的に出迎えたつもりだったが、相手はそうは思っていなかったようだ」
「ほお、ジュリアスのとこにも行ったのか? で、土産は何だった?」
 それで意味が通じたらしくジュリアスは、むっとした顔で「蓬莱国賓館の前にホテルを建てる計画があるそうだ。それと最近、我が社の商社部門の顧客リストの一部が、ライバル社に流出した。これに孫が一枚噛んでいるようだ」
「ええっ、じゃあ、俺がこの間、掴んだ企業スパイ絡みの……」
 オスカーは、驚いた声をあげた。 
「そうだ。顧客リストを手に入れたその会社は、近々、SONカンパニーの配下に入るらしい」
 ジュリアスの表情が、一層曇る。
「俺の所は、開発計画がどっからか漏れてて、買い上げる土地が軒並み、ヤツに買われた。それから、北駅近くにあるウチのダンスホールの前に、同じダンスホールを三倍以上の広さで建ててやがる、今秋オープンだとさ」
 カティスとジュリアスは互いに渋い顔をしている。

「随分と汚いやり方をするんですね……」
 正義感の強いリュミエールは我慢がならないらしい。
「綺麗、汚いと俺が言えた義理じゃないけどな。商売での勝負はキッチリ付けさせて貰うとして、龍虹玉のことだ。そんな水晶玉がどうなろうと知ったことじゃないし、勝手に取れよ……と言いたいところだが、その婆さんは、俺かジュリアスに託すと言ったのなら、ヤツの手に渡るのは面白くない。死んだ婆さんも浮かばれまい」
「同感だ。オスカーまで狙われ銃で撃たれたのだぞ。許せることではない」
「だが、確かにこれが秀文の仕業だとしても証拠がないから捕まえてくれと訴えるわけにもいかんし、そうした所で身寄りのない城内の婆さんが死んだくらいで誰も動かんさ。で、なんとかヤツを燻りだして証拠を掴み、一泡吹かせてやろうと思う。 で、ジュリアス、この件は、俺に一任してくれないか?」
「素人は手を出すな……、ということか?」
「飲み込みが早い。そういうことだ。もちろん報告はする。」
「承知した。では私は、仕事上で彼と張り合うことにする」
 ジュリアスがそう言うとカティスは頷き、オスカーの方を向き直った。
「お前は被害者でもあるし、素人……ってわけでもないけど、怪我人だし、水晶玉の行方はお前が握っていると思われている以上、アパートにも帰れないだろう? しばらくここで養生してろ」
 オスカーは、納得できない様子で何かを言おうとしたが、ジュリアスに遮られて言えない。
「では、蓬莱国賓館に滞在するといい。最上階の客室を開けておく」
「でも……」
「デスクワークならできよう? 幾つか頼みたいことがあるのだ。敵は商売上でつけよう」
「は……はい」
 頷いたオスカーの姿を確認したカティスは、今度はリュミエールに視線を移す。
「巻き込むことになってすまないのだが、水夢骨董堂で、ひとつ頼まれてくれないかな?」
「何でしょう?」
「水夢骨董堂が珍しい水晶玉を手に入れた……と噂を流す。もちろんごく一部に、ね。それを承知して貰いたい」
「それで、誘うわけですね?」
「そうだ。噂に釣られてヤツか接触してくるはずだ。そしたら、その日はまず話を持ち出すだけにして、翌日のアポだけ取り、すぐに俺に知らせてくれ」
「ちょい待ち。何でリュミエールにだけ了解を取ろうとするのさ。それにワタシたちだって立派な素人さんなんだけどっ」
 オリヴィエは、肩を怒らせながら訴えるが、カティスは知らん顔である。

「五月蠅い孔雀だな。だから、頼まれてくれと言ってるじゃあないか」
 孔雀……とトラウマを刺激されてオリヴィエは言葉を失うほどに固まり、悔し涙を流さんばかりになっている。
「オリヴィエ。お手伝いしましょう。あのお婆さんの為にも。オスカーだってこんな酷いことになっているんですし、ね」
「すまん、オリヴィエ」
 オスカーにまでそう言われて、オリヴィエは渋々頷く。
「では、今日の所はこれでお開きにしよう。そろそろこの店を開店しなくちゃならないんでな。車を裏に用意させてあるから使ってくれ」
「では、行こうか、オスカー」
「はい。カティスさん、お世話になりました。感謝してます」
 オスカーは、包帯の巻かれた頭を下げる。
「なぁに、構わん。むしろ、俺を頼ってくれたこと嬉しかったぜ。なんなら、そのうち体で返してくれ」
 と冗談めいてウィンクしたカティスに、「はい。調べ事ならぜひお任せ下さい」と、オスカーが上手く交わしたが、「別に頼ったんじゃない。たまたまアンタの車が通りすがっただけぢゃないか」と、オリヴィエが、口の中でモゴモゴと言う。
「おや? 嬉しいね、妬いてくれてるのかな?」
 どこまでも一枚上手のカティスに為す術もなく、ただ「ふん」と顔を逸らすだけのオリヴィエだった。
 

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