１９２７．８．２９　Monday 　城　内　再び
さらに翌日の夕方、オスカーは、老女に礼を言うつもりで、大きなスイカを手に城内の彼女の家に向かった。共同炊事場で、夕飯の支度をしながら、けたたましく喋っている女たちの横をすり抜けて、うんざりするほどの様々な臭いの入り交じった細い路地へと入っていく。　老女の家の前に四、五人の近所の者たちが固まっていて、ヒソヒソと何か話し込んでいるせいで、オスカーはそこが通れない。 「あんた、この間、婆さんをおぶってた人だね？」 　最初に老女を助けた時に逢った肝っ玉母さん風の女が、無理に通ろうとしたオスカーを見つけて言った。 「そうだよ。何かあったのかい？」 　オスカーが尋ねると、一斉に「この人、まだ知らないんだよ」「知らないのか？」と非難するような声が上がった。 「何なんだよ？」 「ばあさん……殺されたんだ。昨夜、物取りが入ってね。今朝方、野菜のお裾分けに行ったら……」 　女は拝むように手付きをして涙ぐんでいる。恐らく第一発見者なのだろう。 「さっき警察が引き揚げてったけど、中は荒らされたまんまだし、勝手に入らないほうがいいよ。一人暮らしで身元もないから、仏さんもそのまんま寝かせてあるし。明日になったら私ら近所の 者たちで弔うつもりだけど……」 「嘘……だろ」 　唖然としているオスカーに、女は不審な顔をしている。通りすがりにたまたま助けてやっただけの年寄りの家に再びやって来くるなんてどうした訳だろうと、探りをいれている。その目つきに気づいたオスカーは、手にしていたスイカを女に差し出した。 「その先で偶然、知り合いから貰ってな。これからまだ仕事もあるし、持って歩くのも重いんで、婆さんにあげようと思ったのに。これ……あんたに貰ってくれるかい？」 　丸々と大きなスイカが貰えると聞いて、女は、オスカーと老女の関係などどうでもよくなり、コロッと態度を変えた。 「そうかい。じゃあ、貰っとくよ」 「せっかくだから、手だけでも合わせていくか」 「玄関は開けっ放しで上がったとこの居間に寝かせてあるからさ」 　勝手に行って来いとばかりに女たちは、オスカーを追い払う仕草をすると、自分たちは再び、何かを相談し始めた。 　開け放たれたままの玄関に、老女の履き物が散らばっている。箪笥の中味が散乱している居間の片隅に布団が敷いてあるのが見える。 「派手に荒らされたもんだなあ……。一人暮らしの老女の家なんかに目を付けなくてもいいのに……ましてや……殺すなんて」 　オスカーは、やるせない気持ちで、布団の側に近づくと白い布の掛けられた老女の側で、目を瞑り手を合わせた。 　 老女宅を出たオスカーが、元来た路地を引き返すと、崩れかけた石塀に凭れて煙草を吸っている男がいた。仕事が終わって一服している風だが、この辺りの連中にしては、身なりが小綺麗なのが、オスカーの気に掛かる。労働者ならこの暑さでは、上着とは無縁だろうし、きちんと した上着が必要な仕事をしているのなら、城内の長屋のある路地には用のないはずだった。軽薄そうな薄い唇とやけに襟の細い上着か印象的な男だ。 “同業者かな？” 　とオスカーはふと思う。労働者でもなく、ホワイトカラーでもない自分のような職業の者が上着が必要なのは、その下に銃を潜ませる必要があるからだ。だが、オスカーは、夕暮れの西日がギラギラとする中、それ以上、その男を気に掛けもせず、福州路にある宵闇亭へと向かった。突然の老女の死が重く心にのし掛かっていて、このまま事務所兼アパートに帰る気にもなれず、珈琲でも飲みながら日暮れを待って、どこかの馴染みの店で楽しもうと思ったのだった。宵闇亭は夜の帳が完全に降りるのを待つ客や、仕事帰りの客などで結構いっぱいだった。マスターのクラヴィスは、オスカーが入って来たのを見ると、カウンターの一番端を 、“ここで我慢しろ”とばかりに顎でしゃくって合図した。 　一時間ばかりそこに座って、依頼客への報告書の下書きを手帳に書き付けた後、店を出たオスカーは酒場には向かわず、水夢骨董堂に行くことにした。玉を返すつもりが結局 はまた預かることになった経緯と、老女の死を、後回しにせずにオリヴィエとリュミエールに伝えておく事にしたのだった。
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