4 |
次の日の曜日、ジュリアスは緑の館を訪れた。 「これが記録書です、ちょっと古ぼけていますけど」 臙脂色した革表紙には、金文字で、『薔薇図鑑』と書かれている。ジュリアスは、表紙を捲った。黄ばんだ紙が、時代の古さを感じさせる。見知らぬ緑の守護聖の名前……、手書きの文字と、本人が描いたものか、あるいは、別の誰かに描かせたものか、薔薇の精密画が添えられてある。ジュリアスは、さらりと流すようにしてページを捲った。精密画は、やがて写真へと変わる。 そして最後の方に、見覚えあるカティスの筆跡に辿り着いた。深紅の薔薇……アマンティーヌという名前が付いている。艶やかなその薔薇に相応しい優雅な名前だった。 アマンティーヌ……とジュリアスはその名を呟いた。 「素敵な名前でしょう」 ジュリアスの横にいたマルセルが言った。 「うむ。この薔薇によく似合っている」 「初めてこの薔薇図鑑を見せて貰った時、これはきっとカティス様の恋人か、想いを寄せている人の名前かなと思ったんですよ。故郷のお母さんか妹さんか、幼なじみかも……カティス様のとても大切な人に違いないって 。すごくロマンチックな想像しちゃいました」 マルセルの目は笑っている。 「違ったのか?」 「大切な人というのは正解でした。詳しい答えは、後で。次を見てください」 にっこりと笑いながらそう言うと、マルセルは次のページを捲った。 「マッキンリー……?」 初々しい乙女のような淡いピンク色した小さな薔薇の名前にそう付けられている。 「これは、あまり、この薔薇に相応しい名前とは思えないのだが……」 ジュリアスはそう言うと、マルセルを見た。 「僕も、そう思います。でも、面白いエピソードがあるんですよ」 「ほう?」 「当時、この館には、チェルシーという側仕えの若い娘さんがいたそうです。と、同時に庭師見習いをしていたサイファスという若者もいたんです。ある日、チェルシーは、カティス様にお茶を運んで来て、サイファスと鉢合わせになったんだそうです。彼女はお茶の用意をしながら、カティス様の机の上のその薔薇を見て、“なんて綺麗な薔薇なんでしょう”と言ったんだそうです。ところが、その時、サイファスも、“この薔薇、とても綺麗ですね!”と言った。つまりは二人、同時にその薔薇の事を綺麗だと言ったんです」 「それで?」 「カティス様は、新種の薔薇に気づいて、最初に綺麗と言ってくれた人の名前を付けることにしていたんですって。その事をチェルシーとサイファスに言うと、二人とも、とっても自分の名前を付けて欲しそうにして、先に言った言わないの喧嘩になってしまったそうなんです」 「なるほど、それで、マッキンリーと別人の名がついてしまったのか……、それにしても、また似合わぬ名前が……」 と言いかけたジュリアスに、マルセルはクスクスと笑って、話しの続きを聞かせた。 「いいえ、マッキンリーは、サイファスの姓なんですよ。“俺は、最初にこの薔薇を綺麗だと言ってくれた人の名前を付けようと心に決めていたんだ、お前たち、俺の薔薇の為に、いっそ結婚してしまえ”って、カティス様が仰って。結局、その一言で、二人は意識し合うようになって、結ばれたんですって。だから、マッキンリーは、二人の名前なんです」 「なんと……。まあ、カティスらしいといえば、らしい……な。カティスはいつもそのようにして薔薇の名前を決めていたのか? では、先ほどのアマンティーヌというのは?」 「緑の館のお料理係りのおばさんの名前だそうです。自分には名前を付けるセンスが、いまいちないから、一番最初に綺麗だと褒めてくれた人の名前を付けることにしているんだって仰ってました。アマンティーヌは、ちょうど良かったけれど、マッキンリーは、 ちょっと。けれど、そんな風に名前を付けるって素敵なことだと僕は思うんです。自分の造った薔薇を通して、何か縁のようなものをずっと後まで語り継ぐ事ができるでしょう」 「そうだな。ただ単にイメージだけで名付けるよりも後になって、思い出話にもなるし、印象に残る……」 「ジュリアス様の名前の薔薇、ジュリアス様のイメージとは少し違うかも知れないけれど、最初に綺麗だとおっしゃったんですよね、……カティス様が造った一番最後の薔薇。ほら、これでしょう?」 マルセルは当然、ジュリアスも知っているとばかりに、ページを捲って、白い小さな薔薇を指さした。そこには、ごく小さな写真が一枚だけ貼られていた。 「この薔薇を私が最初に綺麗だと……?」 「いや……、もっと大輪の……、見ようによってはオレンジに近いほどの濃い黄色のものだ」 「薔薇園にはないんですよ。当然、あるものと思って、僕も探したのですけれど。記録には、名前しか書いてないし。他のページの薔薇は、写真にしても、いろんな角度から撮影したものが、何枚も残っているし、土や肥料の割合など、育て方を記載してあるのに。これじゃあ、この薔薇が他とどう違うのかよくわからない」 |