『誰も知らないウォン財閥の社史』


第ニ話

第二話

 さて、『ウォン印のヒヒン軟膏』が聖地御用達になったウォンは、行商をやめて、ウォン商会を設立した。だが、扱うのは頑なに、軟膏のみだったから、会社はそれほど大きくならなかった。その初代ウォンに反撥していた二代目ウォンは、父親の死後、本社を主星主都に移し、様々な業種へと進出していったのである。そして……。

「ああ、今夜は星がごつっう綺麗や……ええ夜や、ホンマ、よかった……」
 ウォンは、夜空を見上げて、そう呟くと煙草に火をつけた。彼の目には、立ち上る煙の中に、幻が見えている。つい今し方、産まれたばかりの赤ん坊の姿である。

「歳取ってからの子は可愛いもんやなァ。ましてや待望の男の子や! きばって若いベッピンの嫁はん貰ろた甲斐もあった。元気に育ってくれよ」
 ウォンは星空に願う。とその時、ウォンの携帯電話が鳴った。部下からのよくない知らせだった。契約間際だった取引が破談したのだ。
「しゃーないわ。ごくろうさん」
 と部下に強がってみせたウォンは、電話を切った後で、キッと遠くの街灯りを見据えた。
 父親が裸一貫で築き上げたウォン商会を、なんとか主星の一流企業と張り合うことができるまでに成長させた道のりは険しかった。あくどいやり方をしてきたこともあるが、平民の、それも貧しい地方の出身であることが、ウォンにとっては一番のネックになっていたのだ。

 田舎者、成り上がりのレッテルは、ウォン自身のみならず、会社に貼られたものでもあったのだ。
 競合相手が今回のように、主星きっての大貴族カタルヘナ家をバックに持つ企業だった場合、最後の最後には、そのネームバリューで、見下され淘汰されてしまうのだ。

「せっかく息子が産まれた日やのに、クソッタレめ! 見てろ、今に、主星一の会社にしたるで〜、チャーリー、お父ちゃんは負けへんでーー」
 ウォンは、既に決めてあった息子の名前を、この時、初めて言葉に出して呟いたのだった。
 

 そして十年の月日が流れた。ウォン商会は、もはや一介の企業ではなく、主星でも十本の指に入る企業グループとしての地位を確保していた。
「僕も連れてって」
「アカン」
「いやや、連れてって」
「アカン言うてるやろ、今日は勝負の日なんや」
 身支度を整えているウォンの足下で、ダダをこねているのは、母親からはスラリとした長い手足と整った顔立ち、父親からは如才ないふるまいと鋭い眼光を受け継いだ十歳になった彼の息子チャーリーである。

 父親のウォンの幼年期には、ウォン商会はまだ軌道に乗ってはおらず、例の軟膏が聖地御用達になり生活が楽になり始めたのは、彼が成人してからだった。それ故にどんな高価なスーツに身を包んでも隠しきれない野暮ったさや雑な立ち居振る舞いが、二代目ウォンには残っていた。
だが、彼の息子は違っていた。言葉は父方の出生地の訛りが強いが、おっとりした物腰は、生まれながらにしてお金持ちのボンのそれであった。

 
大企業のトップとしてのカリスマ性を、この幼い子どもは既に持ち合わせていた。ウォングループの後継ぎとして、父親も彼の才覚は認めていたので、形ばかりではあるが役職を持たせ、許される限り商談や接待の場には連れて行ってはいた。

「チャーリー、無理を言うたらアカン。お父ちゃんは、今回の商談は、何がなんでもまとめたいんや。考えてみ、飛空都市、言うたら一般人は出入りできない聖地に近いところ。そんなとこと直で取引できたら、どんなに名誉なことか。所詮は、成り上がりと言われつづけたウォングループの名前も一気に上がるんや。お前にかまってる時間は、今回はないんや。頼むわ、家で大人しい待っとき。飛空都市名物のお菓子でも買うてきたるさかい」
 ウォンはそう言うと、とっておきのネクタイを締めにかかった。

「お父ちゃん、そのネクタイよか、こっちの方がエエんちゃう?」
 半ベソをかきながらチャーリーは、馬の刺繍の入ったものを勧めた。
「それ安モンや。こっちの方がブランドやがな」
「ブランドにこだわりすぎるから、田舎モン言われるんや。聖地の紋章は、神鳥やないか、それやのに、同じ紋章の柄のなんか、ミエミエみたいやん。それに、光の守護聖様は、馬が好きやと、聖地図鑑にも書いてあったで」

「やかましいわ、偉そうに! あのな、ウォン商会は、親父の作ったピピン軟膏のお陰で、創設された会社やというのは知ってるやろ。今では他のモンがメインで、電気、鉄鋼、建設、サービス業と手広くやってるのに、まだ馬の軟膏屋……なんてバカにするヤツもいてるんや。それやのに馬柄のネクタイなんか締めてみぃ、受け狙いやんけ。アホンダラ」
 と息子の頭を叩いたウォンだった。
「痛……もう、柄悪いなぁ。その言葉使いを改めるのが先とちゃうんか。ったく……そやけど、お父ちゃん、初心忘れべからずと言うやんか、ヒヒン軟膏が聖地御用達になったから、ウォン商会ができたんやないか。死んだおじぃちゃんは、いつも軟膏に感謝しなアカンと言うてはったんやろ」

「お前までそんなことを言うか。親父ときたら、酔うと必ず、『俺はある日、森のはずれで、オオカミに襲われている一行に出逢った。俺は素手でオオカミを締め上げて助けてやったんや。そやけど、馬は瀕死、貴族らしい青年も手負いやった。俺は、持っていたヒヒン軟膏を馬に塗り、青年には持参していた弁当と飲み物をやり、手厚く介抱してやったところ、その青年は涙ながらに礼を言い、この軟膏ならば、聖地御用達になれるに違いないと言い残してかき消えた。あれは天啓やった。あの青年は実は、女王陛下に仕える光の守護聖の仮の姿やったに違いない……』とか、アホな事ばっかり言うて軟膏に固執してるから、なかなか会社が大きならへんかったんや」
 実際とは随分違って伝えられたこの話しだが、最後の部分だけは、ズバリであった。ここらあたりの、いきあたりばったりながらも無意識のうちに核心を突いてしまうところが、ウォン家が財閥にまでのし上がって行った所以なのかも知れない。

「僕はその話、ホンマやと思うわ。僕は馬柄のにするからね」
 チャーリーは、ゴムパンドに取り付けられた安易なチョウネクタイを、首からかぶって、満足気に微笑んだ。
「かってにさらせ、アホ……ってなんでお前、連れていくことになってんのや〜」
 なんだかんだと言っても息子に甘いウォンであった。

 
 飛空都市の行政機関の建物に、主星より五社の名だたる企業グループの総帥が、招待され集まっていた。もちろんウォンもそこにいる。そのメンツを見ながらウォンは胸中で、あれこれと画策していた。
(当然あって然るべきカタルヘナ財閥の顔がない……ということは、あの噂はホンマやったんやな……)
 近々、女王試験が行われるらしいという噂は、主星の政治経済の上層部で噂になっていた。試験は飛空都市で行われ、それに乗じて閉鎖的な経済の打開策として、主星企業の参入を飛空都市側は、聖地へ要請しているらしいということがここ最近噂になっていた。
 カタルヘナ家に年頃の娘がおり、どうやら候補に選ばれたらしい、試験の公平を期すために参入企業のリストから、カタルヘナ財閥は外されているらしい……どこまで本当なのかわからなかった噂の断片が、ウォンの頭の中で組み立てられていく。
(名門カタルヘナ財閥がおれへんのは、チャンスや!)
 ウォンが呟いた時、飛空都市側の男が二人、書類を携えて入室してきた。飛空都市経済庁長官とその秘書である。長官は年輩の恰幅の良い紳士である。秘書の方は、金髪碧眼の見るからに貴族然とした青年である。控えめにしているようであるが、どことなしか長官よりも存在感がある。地味なスーツに身を包んでいるこの青年は、誰あろう光の守護聖ジュリアスであった。自分の目で参入企業を確認しておきたいと思ったジュリアスの苦肉の策である。
「お待たせしましたな、では始めましょうか…………」
 長官は書類を取りだし、説明を延々と喋り出す。長官秘書ことジュリアスは、ふと壁際の席に座っている子どもに目を止めた。壁際に座っているのは、各々の総帥が連れてきた秘書やスタッフである。いずれもそれなりのキャリアを漂わせている大人たちに混じっての子どもの姿は異様である。ジュリアスは手元の書類で参加メンバーを確認した。
 (チャーリー・ウォン……ウォングループの跡取り息子か……ほう……十歳なのに既に役職が与えられているのか……)
 ジュリアスは心の中で呟いた。やがて二時間が過ぎた。年かさの秘書でさえ欠伸をかみ殺すかのような会議の中にあって、チャーリー・ウォンは身動きも最小限に、じっと椅子の上に座っている。が、小さな足が時折もぞもぞと動くようになってきたのをジュリアスは見逃さなかった。
(ここらあたりが限界であろう……)
 

 
ジュリアスは、大人たちの会話が一瞬途切れた間に、割って入った。
「長官、そろそろご休憩をとられてはいかがでしょう? 飲み物を用意させております」
「承知いたしま……あ、いや、わかった、そ、そのようにしよう。皆さんもどうぞお楽になさってください」
 長官の方は、ジュリアスにそう言われて焦りながら答えた。いささかその場の緊張が解れ、手洗いや喫煙に中座するものに混じってチャーリーも、ホッとした様な面持ちで立ち上がった。会議室を出るとチャーリーは、大人たちのいる休憩室には行かず、中庭に出た。
 チャーリーは、大きく深呼吸するとそれと同じくらい大きな溜息をついた。
「疲れたであろう」
 とその小さな背中に声をかけたのはジュリアスである。
「あ……い、いえ別に……失礼しました」
 と赤くなりながらチャーリーは答えた。
「そこのベンチで休むといい、楽にしていいのだぞ」
「はい……」
 チャーリーは日よけの傘の置かれたベンチに腰掛けた。ジュリアスもその隣に座る。
「大変だな」
「会議のお話は難しいからよう判りません。お父ちゃ……父は、今日は来たらアカンと言うたんやけど、その場の雰囲気とか、言うたはる口調とは判るから勉強にな ると思って来ました」
 方言混じりにポツポツとチャーリーは答えた。あきらかに無理をしているのが見て取れる。その姿がたまらなくいじらしいものにジュリアスは思えた。
「私も幼い時から……大人に混ざって仕事をしていたので気持ちはわかる。会議はもうしばらく続くが、そなたならば頑張れるであろうな。だが、今は休憩中、楽にしても良いのだぞ」
 ジュリアスがそういうと、チャーリーは頷き、上着を脱いだ。そしてサスペンダーを肩から外して、照れくさそうに笑った。
「あのう、ちょっと聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「聖地にはお店や会社がないんですか?」
「ああ、ない。日常に必要なものは飛空都市経由で入ってくる」
「それって聖地御用達って言うて、選ばれたお品のことですか?」
「そうだな。その時、その時に応じて係りのものが審査して決めるのだ。だから質の良いものが選ばれる。そなたの会社は、もう何年も馬の軟膏を納めてくれているな」
 ジュリアスはチャーリーを喜ばせるためもあり、そう言った。
「ご贔屓に、ありがとう。そやけど、それで女王陛下と守護聖様はええねんやろか」
 チャーリーは小首を傾げる。
「?」
 チャーリーの問いかけの意味が判らず、ジュリアスも首を傾げた。
「エエもんかワルイもんか、自分で決めたないのかなぁ。中味はイマイチやけど、箱が綺麗やから選ぶとか、ちょっとクセのある匂いやけど、自分にはピッタリやとか、そういうのってあるやん。誰かが選んだ一番は、 別の人にとっては一番とちゃうんと違う? せっかくお金出して買うんやし、一番好きなん買いたくないのんかな?」
「そうだな……。けれど陛下や守護聖は多忙なので、じっくり買い物をしている時間がないのだ。だから……いいのだろう……と思う」
 ジュリアスは戸惑いながら答えた。
「ふうん。大変なんやなぁ。じゃ、遊ぶとこもないのん?」
「遊技場や庭園か? そういうものならば……」
「ううん、映画館とかゲームセンターとか遊園地とか」
「ない。個人の館にそれに近い設備を整えているものもいるが……」
「カフェもないのん? 庭園に」
 ジュリアスは首を振る。
「そんなん友達とお話する場所もないなあ。僕が大人になったら飛空都市じゃなくて聖地と直接、取引したいなぁ。ほんで、庭園にカフェ造ったろ。守護聖様とかお散歩しててお茶飲 んだり、休憩できるようにしてあげよ」
 チャーリーは、良いことを思い付いたとばかり、自分で何度も頷いた。
「それは楽しみだな。そうなったらぜひ行かせてもらおう」
「あれ? 長官の秘書さんは聖地の人やの?」
「あ、いや。たまに仕事で行くことがあるのだ」
 ジュリアスは辻褄を合わせた。
「そう。そしたらちょっと待って」
 チャーリーは、ポケットからゴソゴソと小さな紙を取りだした。
「これ僕の名刺。今から名前売っとき言うて、お父ちゃんが……いや社長が作ってくれたん」
 その名刺を裏返すと彼は、拙い文字で何かを書き始めた。
「はい。あげる」
 チャーリーの差しだした名刺をジュリアスは受け取った。
「これを持って来た人に、のみもの一杯サービスしてあげて下さい。チャーリー・ウォン」
「絶対、使こてや。失くしたらアカンで」
 クスッと笑ってジュリアスは、その名刺をスーツのポケットに納めた。真剣な顔をしているチャーリーの様子を見ると、いつか本当にそんな日が来るかもしれないと思うジュリアスであった。
 

第三話に続く


聖地の森の11月  陽だまり