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真夏の夜の悪夢 

『誰も知らないウォン財閥の社史』
外伝3・真夏の夜の悪夢

 

 しかしザッハトルテの去ったあとも二人の忙しさは代わりが無く、ようやくそれが落ち着いた昼過ぎには、ここ一ヶ月の多忙の原因でもある大きな取引先との契約がいよいよ為されようとしていた。チャーリーは、痛む体を鎮痛剤で誤魔化しながら、「お若いのにさすがに主星域、一の大企業トップ」だと倍ほど年齢差のある相手方に言わしめるほど毅然とした切れ者ぶりを発揮し、ジュリアスの方も、いつものように卒のない態度でチャーリーをサポートしていた。
 双方の笑顔と握手で以て契約は成され、万端が終わった時は、退社時間になろうかという時刻だった。
 
「やっと終わったー。今月の多忙は、全部この契約をまとめる為のモンやったからなー。これでゆっくりできるわーー。ジュリアス様もお疲れさんでした」
 契約の場から社長室に戻ったとたん、チャーリーはそう言って大きな伸びをした。
「お疲れさまでした」
 ジュリアスは、チャーリーに向かって深く頭を下げる。
「や、やめてや〜、そんな改まって。……ジュリアス様、昨日のことやったらもうよろしいやん? ちょーっとばかしいつもより激しかっただけ。そら、まあ……あんな心だけ置いてけぼりなんは、ちょっと嫌やけど……。ガラドゥ自身に襲われたわけでなし。それに、それにですよ……」
 とチャーリーは小声になり、ツツ……とジュリアスの側に行くと「あんなことでもなかったら、ジュリアス様と鬼畜プレイなんてでけへんかったーと思えば!」と顔を赤らめつつチャーリーは言った。いつものように呆れたような顔をして「そなたという男は……」とジュリアスが笑ってくれるのを期待して。だがジュリアスは笑顔を見せない。
「そうはいかぬ。あのようなモノに心を乱されるなど……。そしてそなたを傷つけるようなことを……」
「もう傷ついてませんてー、ぜんぜんッ。あっ、カラダ……はちょーーっと痛いですぅ、えへへ」
 今度もジュリアスは笑わない。窓の外のやや日の落ち始めた空を見つめている。そして溜息をついた。
「クラヴィスが昔、言っていた。夜の闇の中では様々なモノが蠢くのだと。私にはそんなことは微塵も感じられず、もしそうなモノに心が動かされるようなことがあるのならそれは心の弱さや隙を突かれてのことでは……と思っていたのだ」
「俺……責任感じてますよ。あんなもん押しつけて。さっさと処分しといたら良かった。そやけど俺なんか昼間にちょっと見ただけでヘンな気分になったのに、ジュリアス様は夜だけ。お日さんの中ではぜんぜん平気でやった。やっぱりそこらあたりジュリアス様らしいなーと思うんやけど……」
 チャーリーがジュリアスの背中に向かってそう言った時、退社を促す緩やかな音楽が社内に流れ始めた。一日の疲れを労とうように、家路への思いを募らせるように、優しげな旋律が流れる。
 
「さ、ジュリアス様、帰りましょ。急ぎの仕事はもうあらへん」
「私はまだ少し翻訳部からの依頼の仕事が残っているので……」
 ジュリアスは振り返ってそう言うと自分のデスクに付こうする。
「期日はまだですやろ? それにザッハのおっさんも言うてたけど翻訳部の人手不足と能力不足、早急になんとかさせますから。早く帰りましょー」
 チャーリーは上着を羽織り、鞄を持つ。それでもジュリアスは動こうとしない。
「私はまだ自分を許す気にはなれない。今はもう少し……そなたと距離を置き、考え……」
 ジュリアスの言葉の半ばで、チャーリーは、持っていた鞄をバシッと彼の机に叩き付けた。
「エエ加減にしぃやッ。帰る言うたら帰るんや! 昨日の夜あんなことになってから今までもう距離は充分開いてます。これ以上ウダウダ言うたら、なんぼジュリアス様でも、しばき倒す!」
 チャーリーは、叩き付けた鞄を掴むとジュリアスに押しつけ、手動で無理矢理、室内の照明を切り部屋を出た。ジュリアスが後を追ってはくれず、このまま照明の消えた西日だけが入り込む室内で押黙ったまま動かなかったらどうしよう……、そう思ったとたんチャーリーの背中と腰が鈍く痛みはじめた。昼過ぎに飲んだ鎮痛剤が切れる時間でもあった。筋が違えたところがあるのか何かの折りに引きつるような痛みが走る時もある。その場に座り込んでしまいそうになった時、ガチャリ……、とチャーリーの背後で音がした。そして自分の後を歩くジュリアスの足音が響いて来た時、チャーリーは心底ホッとし、と同時に……。
“ひゃー、さっきは、ついイラッとしてジュリアス様に声を荒げてもうた〜、しばき倒すやなんて言うてしもた〜、お、怒ってはらへんやろか〜?”と思うと気が気でなくなるのだった。ジュリアスの方は自分と彼の鞄を持ち、彼の背中を追っていた。ジュリアスは自分自身を情けないと思うことなど滅多になかった。そうなる前に反省し、常に最善の努力をしてきたのだ。チャーリーの言うようにもうこの件は気にしなくても良いのだろうし、気持ちを早く切り替えねばと思うものの、やはり心の中から重苦しさが消えない。ジュリアスが、うふっ……と息を吐き、顔を挙げると前を行くチャーリーが、フラリとよろめいたのが見えた。何も無かったように再び歩き始めたが、左肩が下がり、前のめりになっている。
「チャーリー」
 ジュリアスは、彼の元へと急ぎ、その肩越しに「どこか痛むのではないのか?」と尋ねた。
「う……痛……」
 チャーリーは立ち止まり、痛みに耐えるように顔を顰めた。
「大丈夫か? 医務室へ……」
「いや、大丈夫です。痛み止め切れたんと、契約が終わって緊張が解けたんでドッと疲れが……」
「痛み止め? では、どこか痛めていたのか?」
「大丈夫、ちょっと筋でも違えたんやと思います」
「昨夜、私が……無理強いした……時に……」
 ジュリアスが小声で言った。彼の心配が混じった優しい口調がチャーリーには何よりの薬だった。すぐに心が軽くなってくる。
「覚えてはります? もー、無理や言うてるのに、こうギュュュ〜とご無体な体位で、ギシッギシッと。まるでぞうきんを絞ったみたいにギュュュ〜と体が捻れて。そうっ! ちょうどこんなボロぞうきんみたいに俺の体は、ギュウギュウと!」
 とチャーリーは廊下の真ん中にポツン……と落ちているぞうきんを指さして言った。
「……って、何でこんなとこに絞りぞうきんが落ちてるんやーっ」
 とチャーリーが叫ぶのとほぼ同時に、バケツを持った作業服姿の青年が、走ってきた。
「す、すすすすいませんっ。落としてしまって」
 とペコペコと頭を下げる青年の作業服に付けてある腕章が、臨時アルバイトの清掃員であることを示している。明らかにまだ年若い風貌である。
「バイトの子か? ぞうきんを落としてはいけないよ。駐車場に続く社員用通路だったからまだしも良かったものの、来客も通るメイン廊下だったら一流企業としてとんだ失態だったからね。気をつけたまえ」
 初見の、しかも年下の相手だと、つい口調が変わるチャーリーである。
「は、ハイッ。申し訳ありませんでしたっ。あっ、あの、夏休みでバイトさせて戴いていますッ。俺、あ、いや私は主星大学三年ですっ」
「あ、なんだ、君、僕の後輩?」
ますます口調がヘンになっていく。
「ハイッ」
 青年は、青年実業家@しかも宇宙一、のチャーリーを憧れの混じった目で見つめている。 幼い時に出逢った飛空都市経済庁長官の秘書(実はジュリアス)への憧れがどんなに自分の支えになっていたかを身を以て知っているチャーリーは、“いやっ、かなわんなぁ。こんなアコガレの目で見られたら。ちゃんとしとかんとイメージ崩したらアカンわ、ピシッとせな!” 
と強く思ってしまうのだった。
「では就職は我が社も受けるのかな?」
「実は翻訳部で内定を頂戴していますッ。その伝手で夏休みのアルバイトもご紹介戴きましたッ」
「翻訳部?」
「ハイッ。自分は親の仕事の関係であちらこちらの星域を転々としていまして幾つかの言語をマスターしておりますのでっ」
「ああ……それで早速と内定を。そうか、そうだったのか。翻訳部は手薄でね、君のような若者が入ってくれれば助かるよ。ま、どうか頑張ってくれたまえっ、ハッハッハ」
 チャーリーはそう言うと、青年の肩をポンポンと叩き、歩き出した。その背後でジュリアスが「ククッ」と小さく笑った。とってつけたようなチャーリーの喋り方が不自然で可笑しくて。
“笑ろてくれたはる。やっぱりぞうきんがジュリアス様のツボに? いや、ホンマ……あのぞうきんはナイスタイミングやったな……”
と喜ぶチャーリーだった。

「さっきの子、清掃部やのうて翻訳部でバイトさせたらええのになあ」
「翻訳部では機密事項に関わる内容のものや、契約に携わるような内容のものも多い。臨時雇いの者にはさせられないだろう」
 とすかさずジュリアスが言う。いつもの口調だった。
「あ……。そうでした」
 チャーリーは頭を掻き、真横に立っているジュリアスの顔を見る。えへへ……と自然に笑顔が出る。
「帰りましょ」
 とチャーリーは言った。
「帰っているではないか?」
 とジュリアスは、わざと顰めっ面をして答えた後、ふっ……と笑顔をみせた。二人は、やっと穏やかな表情を互いに見せ合った。その時、チューリーの視界に、先の廊下を横切っていくザッハトルテの姿が目に映った。
「ジュリアス様、先にエアカーに行っててくれはる? 俺ちょっと……用足ししてきます」
 チャーリーはそう言うと「トイレ、トイレ」と呟きながらジュリアスの元を離れたのだった。そしてザッハトルテの後を追う。廊下を曲がり、その後ろ姿を見つけたチャーリーは「リチャード」と叫んで呼び止めた。
「貴方にファーストネームで呼ばれるとロクなことありません。まだザッハのおっさんの方がマシですが」
 そう言って振り返るザッハトルテ。
「腹立つー。まあ、今は怒ってる時間あらへん。ちょっと……」
 チャーリーはザッハトルテに躙り寄り、上着のポケットからハンカチに包んだものを取り出し、押しつけた。
「なんです? あ……これは」
 その大きさとハンカチの隙間から僅かに見えたブラックオパールに、彼は驚く。
「昨夜、悪酔いした時、俺が壊してしもたんや。それと、実はこれ、やっぱり……な。夜になるとジュリアス様でもアカン……」
「まさかジュリアスでも?」
「ちょ、ちょーーーっとだけやでっ。ちょっとだけ安眠妨害なんや。天球儀の壊れた台座と金銀線の所は廃棄させたんやけど、それはかなりのシロモノやから、例のトコに持って行ってくれるか?」
「……判りました」
 昨夜の悪酔いした件とこのブラックオパールとの間に何か因果関係があるようだ……と思いながらもザッハトルテは、何も聞かずに頷いた。
「悪い。お前はもう俺の秘書でもないのに使いだてして」
「いいえ。かまいませんよ。友人として頼んで戴いたと了解してます」
「リチャード〜、ええヤツやな〜、今度のボーナス、弾むわ〜」
「いえ、私の報酬は貴方ではなくて、役員会議と株主総会にて決定されますから。ちなみに貴方の報酬もね」
 シレッとした態度でザッハトルテが言う。
「わ、判ってるわいっ。言葉の綾やんか〜」
「ともあれ、コレはお預かりしました。よい週末を。ずっと忙しかったですからね」
 珍しく彼の口調は優しい。
「ありがと。お前もゆっくりしぃや」
 チャーリーの方も素直に答える。
「ヘンな酒、飲むんじゃありませんよ」
「一言よ・け・い!」
 鼻に皺を寄せてそう言うとチャーリーは、ジュリアスの待っているエアカーまで猛ダッシュしたのだった。痛む腰をさすりながら……。
 

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