ある朝の出来事


 ジュリアスは本日も朝一番に己のサクリアを放出する為に壺を訪れていた。なかなか新女王の座に馴染めず、いろいろと騒ぎを起こしていたアンジェリークも最近は落ち着き、ジュリアスは、前のように規則正しい時間にサクリアを、放出する事が出来て心地よく思っていた。祈りを込め、光のサクリアを解き放つ。黒光りする壺の中に黄金色のサクリアが吸い込まれて行く様は何度見ても美しい、と。

「しかし不思議なものだ……この壺の向こうはどうなっているのか……エルンストでなくても確かめてみたいと思う……」
 ジュリアスは己のサクリアの行方を想い呟いた。

 ずっと昔の記録によると、ロープの先に小動物を付けて壺の中に垂らしてみた事があったらしい。百メートルほどロープを垂らしたところで、突然甲高い小動物の鳴き声が響き、慌ててロープを引き上げてみたが、その先は何もなく千切れていた。宇宙服も着ずに宇宙空間に出ればどうなるか……やはり壺の中はまぎれもなく宇宙空間に繋がっている……と言うのが王立研究院から出されている現在までの報告である。

 ジュリアスは、光のサクリアを放出し終わっても尚、この不思議な壺の中を見ていた。見るものの心を引き付ける神秘の世界……とその時である、うつむいていたジュリアスの頭から額飾りが、壺の中に吸い込まれるように落ちた。ジュリアスはとっさに身を乗り出し、腕をのばして額飾りを掴んだ。

「ああ、危ないところだった……あっ」

 壺の中に半身を乗り出していた為に、バランスを崩し、今度はジュリアス自身が壺の中に落ちてしまったのである。寸でのところで壺の縁を掴み危機一髪助かったが、よじ登る事が出来ず、ただぶら下がっているのが精一杯だった。掴んでいた額飾りを片手で付け直し、ようやく両手で壺の縁に掴まったがやはり、それから先はどうする事も出来ない。

 助けを呼ぼうにもここは王立研究院の奥の間、一般の研究員では立ち入る事の許されない開かずの間であり、当然、防犯の為の監視カメラなども設置されていない。

「下手に大声をあげると体力を消耗するばかりだ、誰か他の守護聖が来るのを待つしかないのか……しかし……もう」

 ジュリアスの足下には無限に広がる大宇宙が待っている。次第に腕がしびれ、指先の感覚も薄れて来た。 と、その時、奥の間の重い扉が軋んで開く音がした。

「おお……助かったか」 ジュリアスの体に生気が蘇る。


「こんなところで何をしている?」
 と壺の中を覗き込んだのはクラヴィスであった。
「そなたか、こんな時間に来るとは珍しい……何でもよい、とりあえず引き上げて貰おうか」
 ジュリアスはなるべく威厳を崩さぬように言った。 クラヴィスはジュリアスの片腕を掴んだ。そして確かめるように言った。

「落ちた……のか?」
「……見ればわかるだろう」
 クラヴィスはジュリアスを腕を引き上げようとしたがジュリアスは重く、引き上げる事が出来ない。クラヴィスは身を乗り出しジュリアスの上半身から引き上げようとした。

「!」
 声にならない叫びをあげ、バランスを崩したクラヴィスは壺の中に落ちる。壺の縁に掴まり、クラヴィスもまた危機一髪助かったのだが。

「そなたに助けを乞うた私が愚かであった」
 ジュリアスは絶望と失望に喘ぎながらクラヴィスを見た。
「お前の衣装が重すぎるのだ、そのたいそうな肩飾りのせいだ」
「そなたが日頃から鍛錬を怠るからだ、私くらいの重さ、オスカーなら軽々と持ち上げるぞ」
「ほう?そうか、軽々とな……」
 クラヴィスはねっとりとした言い回しで答えた。

「い、いや、例えばだ」
 ジュリアスはなんとか言い返したが、次の言葉が続かない。肩が嫌な音を立てた。
「くっ……もうダメだ……」
「仕方がない……共に堕ちるか……ジュリアス」
 クラヴィスは死など大した事ではないというように微笑みを浮かべて言った。

「堕ちるではなくて落ちるだ、言葉は正しく使えっ」
「フッ……私の心を読んだか」
 クラヴィスとジュリアスは壺の縁に掴まりながら、後数分で己の命が尽きるであろう事を覚悟した……。

◆◇◆

「二人とも肩と腕の筋を痛めただけで済んでよかったな、全治二週間だって。ギブスしなくちゃならないのはお気の毒だけど」
 ランディがホッとした様子で言うと、その横で嬉しそうにゼフェルが言った。

「けどよー、あの二人が必死の形相で壺の縁にぶら下がってるのを見た時はオレ、笑っちまったぜ〜、一瞬焦ったけどよ」
「ゼフェルが壺に行くのがもう少し遅かったらとゾッとしますね、とにかく、あの壺にはまだまだ不可解な部分が多いですからね、貴方たちも気をつけて下さいよ、エルンストが調査隊を組んで探索に行くまでは、むやみに覗き込んだりしないで下さいね」
 ルヴァはやけに張り切っている。

「オスカー、ずっと二人があのままだったら少し嬉しい気がいたしますね」
 リュミエールはオスカーにこっそりと言った。
「そうだな、両手が使えないというのは、なんというかチャンスかも知れん……」
「そういう事ではなくてっ。わたくしはお食事のお世話とかが楽しいという意味なのですけれど」
「そうだな、今日あたりは風呂に入ってもいいそうだ、お世話して差し上げなくてはっ」
「オスカー……貴方って人は……」
 リュミエールとオスカーは二人で妙に盛り上がっている。

「おっと……その前に【壺】に行かなくちゃならん、もう限界だ」
「わたくしもそろそろ……。ご一緒してよろしいですか?」
 オスカーとリュミエールが立ち上がる。
「あらっ、ワタシまでなんだか来ちゃった感じ〜ちょっち壺まで行って来る〜」
 オリヴィエもなんとなく落ち着かない様子で二人の後を追った。

「僕もちょっと早いけど行っておこうかな〜、漏らしたらヤダもの」
 マルセルが後を追う。
「あーそれでは私もご一緒しましょうかねー、ランディとゼフェルもどうですかー」
「じゃあ、俺もそろそろだし」
「おう、皆で【連れサク】とシャレこもうぜ〜」

★ END ★ 

挿し絵
直乃あきこ様・えばらことぶき様/徳丸書店


【虚無の壺表紙に戻る】
【陽だまり】
【聖地の森の11月】