「……やがて日が暮れようとしていた……」
 そう言った後、ジュリアスは側にあった水差しから僅かに水をグラスに注ぎ、喉を潤した。辺境の惑星、未開の土地に集まる首脳陣たち……心にそれを思い描きながら、私はジュリアスの話の続きを待った。

「岩山がさらに大きな影を作り、サファラの代表が用意した小さな篝火の側に各国の代表が集まった。サファラ代表は、皆にこれから二時間ほどの間、ただここに座っていて欲しいと告げた。要人たちは粗末な丸太の椅子に座らされ居心地が悪そうだった。中にはあからさまに文句を言う者もいた」
 ジュリアスはそう言って、また軽く笑った。話の結末が見えた気がした。
「大自然の中で身を委ね、それがいかに尊いものか悟れ……と言うのだな」
「ああ、そうだ。その場所に着いた時から、もう既に感動に心を震わせているものが何人もいた。だが、それとこれとは別と余計に頑なになる者も多くいたが……」
 ジュリアスの声が一段と穏やかになった。

「夜の帳が降り、サファラ代表は皆に防寒具を着込むように言い、篝火を消した。突然の闇に人々はざわめいたがやがて誰も言葉を発しなくなった。少し風が出てきたようで離れた所にある草むらのさわさわという音がしていた。それと……虫の音も聞こえていた。後は……何か獣の声がしていた。恐ろしげなものではない。誰かクスッ……と笑った。それが睦言だと判ったからだ。獣に睦言もあるまいに……と思うだろうが、相手を労るような吼え方だったのだ。甘く……な」
 ジュリアスはやや目を伏せて笑った。恐らく、その場にいた者たちもそのように笑ったのだろう。

「やがて獣たちもどこかに行ってしまい、辺りはまた静かになった。夜が深くなり、星々の輝きが増す。先進国の者たちはあのような星空を実際に見たことが無かったのだろう。天を見上げたまま固まって唖然としていた。じっとしていると宇宙の中に放り出されたような気になるのだろう、手だけが何かに縋ろうとして動いていた……。私はその静寂の中、回廊を開き、聖地へと戻ったのだ……。結局、先進国はサファラ側の提案を総て受け入れることとなった。といっても既に築き上げた先進国の生活を捨て去ることなどできようもないが」

 ジュリアスがその星を訪れてから聖地時間では三ヶ月ほどだが、その星ではどれほどの年月が流れたのだろう……条約の効果はあったのだろうか……、私が考えているとジュリアスがその答えを言った。

「その夜からおおよそ五十年近い年月が過ぎた。私は時折、彼の星を観ていたが、最初の数年は大きな進展もなく過ぎ、十年ほどした辺りから効果が目に見えだした」
「条約にサインした各国の代表者のほとんどがもう既に他界しているだろう。その星でもトップが入れ替わり、条約も例外などが付け加えられてあってなきものになっているのではないか?」
 私の後ろ向きな発言にジュリアスは、「いいや」と短く答えた。
「条約には、成人するまでに総ての者が、サファラで一夜を過ごすことを義務付けることが盛り込まれていたのだ。多少の例外はあるだろうが、指導者となる者なら必ず数度はサファラの地へ赴いているようだ」
 ジュリアスは何故かそこで微かな溜息をついた。そしてその説明をするように付け加えた。
「彼の星の環境に対する意識は非常に高いが、それでも最終的には主星型と同様の環境形態を辿るのだろうな。総ては管理システム下に置かれるのだ。まったくの野生 ではなく、自然に限りなく近い人工的な環境へと。……先進国は消費の歩みを完全に止めたわけではない。環境悪化による天候の異変で、干え上がった川や湖は、もう元に は戻れない……一度崩れた生態系も然り……」
「多くの星がそこに至までに崩壊するのだ。自らの手によって歯止めが効かずに。環境云々以前に……愚かな戦いによっても……」
 私は訪れた星の事を思い出してしまった。血に染まった草原とまだ大気の汚染などに晒されていない青空と……皮肉なコントラストだった。 無垢な少年の命を奪った愚かな指導者たちの統治するあの星はどうなっていくのだろう……。ジュリアスのように見守り続ける価値はあるのか? それ以前に私にはその気力もないが。

「すまぬ……。そなたの心からそれを閉め出すつもりであったのに、思い出させてしまったようだな……」
 僅かな私の心の揺れを読み取ったのか、ジュリアスはそう言った。
「いいや……」
 そんなことはない、お前の話のお陰で随分、楽になった……、と言葉を続ければ良かった。私はいつも言葉足らずだ。私はゆっくりと半身を起こし、「もう随分楽になった……」と言った。言ってしまってから、それは礼の言葉ではなく、だからお前はもう帰っても良いぞ……、とも取れるなと思い、言葉を付け足そうとした。が、ジュリアスは既に立ち上がっていた。

「館に戻るのならばエアカーの用意をさせよう。この時刻では馬車を厩舎から呼ぶより早いだろう」
「いや……」
「今のそなたが歩いて戻るには距離がある。それに足元も暗かろう。無理はするな」
「その……彼の星への回廊への設定はまだ残っているか?」
 ジュリアスの心に残った場所なら一見の価値はあるだろう。
「ああ。以降も一度降りたからな。機会があればまた……と思い、そのままにしてある。行くのか? この時刻から?」
「私にとってはさほど遅い時間ではない。それにどうせ今夜は眠れぬだろう」
 ジュリアスによって癒されたとはいえ、こんな日は神経が高ぶったままで眠れぬことは判っていた。
「……いいだろう。ただし滞在時間は一時間ほどにせよ。聖地時間にすれば僅か数分だ。戻ってから寝所に入れ。眠れずとも横たわっているだけでも体の疲れは取れるだろうからな。回廊を待機させておくよう伝えて来よう」
 ジュリアスはそう言うと機敏な動作で部屋を出て行った。私はゆっくりと立ち上がり寝乱れた着衣や髪を見苦しくない程度に整えた。もう眩暈はしなかったが、首や背中が強張っていた。
 
 次元回廊のある間に、ジュリアスと担当の執務官が待っていた。私の姿を見た執務官は一礼した後、回廊を開く為に隣室へと消えた。
「では、行ってくる。手数をかけた」
 と言った私の横にジュリアスが並んで立った。当然だろうと言わんばかりの態度で。
「私も同行する」
「一人で構わぬ。お前にとっては今は深夜であろう」
 ジュリアスは私を睨みつけた。
「普段であれば館にて寛いでいる時間ではあるが、寝所に入るほどの時刻ではない」

 急なこの騒ぎで、疲れているのはお前も同じだろう、もういいから館に戻って休め。私が朝寝をしていようといつものことで誰も何も言わないが、お前がそうしたなら、具合が悪いのかと心配される。具合も悪くないのに……ということなれば、首座の守護聖様ともあろうお方が、と言われもしよう……、とそれを言葉にしようとしている間に、ジュリアスは、「それに……先の話には、少し付け加えておきたいこともある」とそう言い、スッと手を挙げて執務官に合図を送ってしまっていた。
  
 次元回廊が開く……彼の星への……。
 

■NEXT■


聖地の森の11月 黄昏の森