Section　６　消えた片翼
　
　あの陰鬱な気配が消えてゆく……それを聖地にいたジュリアスは、いち早く感じ安堵していた。もう間もなく戻ってくるはずであろうクラヴィスに労いの言葉でもかけた後、何事もないようなら、そのまま飛空都市に向かおうと、ジュリアスは、王立研究院へ行くことにした。
　その道すがら、スッ……とジュリアスの背筋に寒気が走った。
“なんだ？　今のは？　クラヴィスに何かあったか？”
　咄嗟にそういう予感に見舞われたジュリアスは、バスハの元へと急いだ。一部の者しか入れぬ次元回廊や星の小道の転移装置に繋がる様々な計器のあるセンターから、パスハが飛び出してくるのが見えた。
「ジュリアス様、ただ今そちらに伺おうと！」
「何かあったのか？」
「クラヴィス様が、こちらに戻られる一瞬の間に、転移装置の座標に狂いが生じました。安全システムが働き、ポットは一旦、惑星軌道上に投げ出されるはずでしたが、かなり逸脱した場所にまで飛ばされてしまいました 」
「どれほどの誤差だ？」
「次元回廊の干渉のせいで、まったく違う場所です。誤差……と言えないほどに……」
　パスハの口調は煮え切らない。
「クラヴィスの位置は特定済みだろうな？　すぐに回収し……どうした？」
　やはり、いつもは冷静なパスハの様子がおかしい。
「ゼータ域の縁であるゼータＳＰ域、外宇宙とも言ってよいほどの位置に……。その方角から送られてきた誘導ビーコンを一度だけキヤッチできています。ですが、計器のトラブルでもあったのか、その後のポイントが まったく掴みきれません。それだけの数値では、あまりに広範囲すぎて位置の特定が不可能です。こちらへいらしていただけますか？」
　バスハは、センター内への同行をジュリアスに願った。厳選された王立研究院のメンバーだけが、回廊や星の小径に携わることが出来る技師たちだが、彼らは、ジュリアスの姿に一礼しただけで、すぐにモニターに目を戻す。焦っている様子が、ジュリアスにも判る。
「これが、ゼータＳＰ全域です。こちらの信号は向こうに届いていません」
　示された星図を見て、ジュリアスは微かに溜息をついた。あまりにも広い。
「この区域のどこかにクラヴィスが漂っているのか……クラヴィスを完全に見失ってからどれ程の時間になる？　あの惑星と同じほどの時間差か？」
　ジュリアスが、そう言うとパスハの背後にいて計器を見つめていた研究員が、「いいえ、時間差はもっと大きいと思われます。向こうの時間にして……恐らく八時間 ほど……になります」と言った。
「八時間……」
　ジュリアスは、そう呟いて絶句した後、パスハを見た。彼の目は、ジュリアスに決断を求めていた。
「……コールドスリープの設定は？」
　ジュリアスは尋ねた。
「このままこちらからの信号を向こうがキャッチできていなければ、自動的にもうまもなくコールドスリープが作動するはずです」
「そうか……」
　狭いカプセルの中で意識を保ったまま漂うよりは、その方が心身共に安全なことである。
「そのゼータＳＰ全域を隈無くスキャンするのにどれほどの時間が掛かるのだ？」
　今、このセンター内には五人の研究員がモニターに張り付いていた。
「既に始めています。ポットのサイズから見て、ランクＡでないと掴み切れません。それですと、聖地時間で、最長の場合一週間はかかります」
　この時期の一週間がどれほど重要なものかはジュリアスが一番良く知っている。不安定な育成状況から急速に発展し続けてきたアンジェリークの大陸は、今後、闇のサクリアを多く必要とすることは安易に予測できる。クラヴィスからのサクリアが得られぬままに育成が進めば、彼女の大陸は著しくバランスを崩すだろう。もちろんそれは、アンジェリークだけの問題ではない。 もともと二つの大陸はひとつで繋がったものだ。どちらが尋常ではない形で未発達のままに進化が止まれば、ロザリアの大陸にも大きく影響する。スキャン後、すぐに回収出来たとしても、向こうの時間で七百日ほども眠っていたことになるクラヴィスが、復帰するのにかなりの数日はかかるはず。だが、それ以前に、クラヴィスが辺境の宇宙で七百日も眠りについたままになった場合、この宇宙と聖地の均衡はどうなってしまうのか？　時期が時期だけに想像がつかない。
「待てぬ……」
　ジュリアスは、呟いた。
「は……ですが……位置の特定が出来ない限り、闇雲にサルベージに向かうことは……」
　それは、大海に落ちた小石を偶然に期待してさらおうとしているようなものだった。
「私が行く」
　ジュリアスは、自らの決意を確かめるように頷きながらそう言った。
「え……？　何と仰せになりました？」
「私が行くと言ったのだ。ゼータＳＰ域に、次元回廊を使ってサルベージ船を送れ。私がクラヴィスを探す。私ならば探し出せる」

　ジュリアスの言葉の意味をパスハはすぐに理解した。守護聖同士ならば、互いのサクリアを感じる事が出来ると言う。 特に光と闇、炎と水といった表裏一体ともいえるサクリア同士は、強く惹きつけ合うものだとも聞く。
「闇のサクリアを感知なさろうというのですね？　聖地からではそれは捉えられませんか？」
　そう聞かれてジュリアスは小さく笑う。
「そうだな……おおよその方角程度は。北の方角にクラヴィスはいるようだ。その程度のことしか判らぬ。計器のようにはっきりと座標にして捉えるわけではないのだ」
「は、はい」
「最後にシグナルの来た場所から、闇のサクリアのある方向を捉え、ワープを重ねる。それで確実にクラヴィスの近くに進んだことになろう。そしてスキャンすれば、効率的に短時間で見つけられるはずだ。同行者はいらぬ。遠く離れたどこにあるかもわからぬ闇のサクリアを感知するのに一般の者の気配は邪魔となる」
　現状ではそれが一番、早く確実なやり方ではある。だが、しかし、首座の守護聖自らが、宇宙空間に直接サルベージ船を操り、辺境に向かうなどとは……。そんなパスハの心中を読んだかのようにジュリアスは笑った。
「広い宇宙を自動操縦で行くのだ。聖地をエアカーを操縦するよりか容易いことだ。ゼフェルならば、そう言うだろうな。それに長く聖地にいるのだ、一通りの事は身に付けている。早く用意をいたせ。一刻の猶予もならぬ」
「はい」
　深々と頷いた後、パスハは、研究員に的確に指示を出し、サルベージ船の手配を急いだ。
　ジュリアスは、別の者に誘導され、外宇宙へ出る為の準備をする。守護聖の衣装を脱ぎ捨てるとシャワールームへと入った。と、言っても温かい湯の出るものとはまったく違う。ジュリアスの裸体は、微弱な風と光に包まれ、体に不着する不純物が、分子分解されていく。完全と言えるほどに清められた皮膚に、目には見えぬし、感じられないが、放射線をカットする薄い特殊なスキンがコーティングされてゆく。その後、純白の宇宙服に身を包んだジュリアスは、パスハの用意したサルベージ船に乗り込んだ。定員二名とサルベージしたカプセルが積めるだけの最小型船である。流線型の船体は銀色に輝き、神鳥の紋章が船籍を示している。 ジュリアスの為にそれを用意した研究員は、本当に守護聖自身が外に出るのか？　という表情をしている。ジュリアスは、船に乗り込んだ後、狭いコクピットに座って、改めて自問する。
“クラヴィスを探しに行くのだな？”　と。
　不測の事態とはいえ、首座の守護聖自ら聖地を離れ宇宙へ出る……それが、正しい判断であるのか、と問われれば客観的に見れば、否と言うだろう。だが、今は、どうあっても、クラヴィスを見つけたい、もし、あれを失うようなことになれば……そう思うだけで、冷や汗が滲む……。それは……この宇宙の、女王試験の為だけでなく……私にとっても……。
「いつでも発てます」
　センターからパスハの声が響く。
「では、ゼータＳＰ域へ、次元回廊を開け」
　ジュリアスは、操縦席のシートに体を固定しそう告げた。
　

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