神鳥の瑕 第一部 OUTER FILE-03
インファの木の下で……

  
 西へ行く為にインディラ港へ向かうというその前日、ジュリアスは一人、祖先の廟を訪れた。廟の傍らには大きなインファの木があり、そこからは、城全体がゆるやかに見渡せる。 久しぶりのゆったりとした時の中にジュリアスはいた。

 インファの花は、春の終わりから初夏にかけて咲く。その白い五弁花は一つ一つは小さいが、木々の枝にまさに咲き乱れるといった風情を見せる。特に珍しい木ではないものの 気候や土壌が、大陸の中央部に位置するクゥアンが 、一番適しているらしく、樹齢の高い見事な木が多くあった。

 クゥアン城の裏庭の一角、やや小高くなった場所にある歴代の王を奉る廟。その側のインファもそんな木のひとつだった。その木は、クゥアンの太祖が、植樹したものと言われていた。もしその言い伝えが本当ならば、そのインファの木の樹齢は 、二千年ほどにもなる。確かにそれほど大きく、まるで生きた意志を持つ老賢者の趣のある木であった。
 “私は歴代の王たちを知っている……。おお、ジュリアスか。お前の事もよく知っておるわい……”
 そんな呟きが、今にも聞こえて来そうだとジュリアスは思いながら、木の下に立った。太い幹に触れると、まるで、木の髄に書き込まれでもしていたように、どんな風に今まで自分が生きてきたのかを 、おさらいさせるように、過去の記憶がジュリアスの中に満ちてきた。

 幼い間に両親を失い、代わりに得た王座は、ジュリアスにはまだ、あまりにも大きかった。小さな体と大きな玉座の不釣り合いさは、そのまま心の隙間のようであった。王と呼ばれるようになったその日から、 その隙間を埋めてくれていたのは、伯父であるツ・クゥアン卿だった。だが、成人の儀を迎えると、伯父と甥の関係は完全に消え、ツ・クゥアン卿は、ジュリアスの心の隙間を埋めるような発言を一切せず、彼に仕える側近であることに徹した。甘えてはならないのだと、ジュリアスは感じ、より賢明な王であることに務めた。

 誰よりも豪華な衣を身につけ、誰よりも見事な馬を持ち、誰もが感嘆を持って崇める金の髪と青い瞳を持つジュリアスだったが、普通の少年が持つような淡く優しい思い出だけはその裡に存在しなかった。ただ、年に数度訪れるホゥヤンでのオスカーとの日々と、初めて他国の王を断罪した時に、芽生えた西への興味と憧憬だけが、 かろうじてそれらしい感情だった。
 
 長じて、望めばいかような快楽もその手に出来る年齢になっても、ジュリアスは、後宮を望まなかった。歴代の王たちは、皆、愛欲に溺れることなく、後宮を持たず、せいぜい一人か二人ほどの寵姫だけを持ち、末永く愛した。それがこのクゥアンを長きに渡り支えているのだと示唆する者もいる。正妃をまだ持たないジュリアスには、世話係の者がいた。 見目は良いが身分は低く、多くを望まない慎ましやかな心根の者が、推薦されて配されていた。若く健全な自分の体が、その者たちを求める時、ジュリアスの心にはいつも幾ばくかの寂寥感が残った。本当にこの心を捧げることができる相手を求める気持ちが尚一層、強くなるのだった。愛する人のみならず、 西という存在や自分の髪や瞳の根源、あの宝飾品の謎………、ジュリアスの求めるものは、それらを分解して行けば、たったひとつに行き当たる。真という名の核に……。 

 今、インファの木の下で、ジュリアスは、その根元に、足を投げ出して座り込んだ。まだまだ短い自分の半生を振り返りながら、彼はその大木を見上げた。白い花々を抱いた梢が四方に伸び、その隙間から光が降り注ぐ。 彼のラピスの肩飾りに木漏れ日が反射し、頬に暖かな光が集まる。今まで経験したことのないような穏やかな暖かさの中で、眠気がジュリアスを襲う。そして、遠ざかっていく意識の中で、白い大きな鳥が自分を誘うように飛んでいる夢を見た。手を延ばせば、そこにあって、その白い羽根が掴めそうだった。その中で 、ジュリアスは、子どものように夢中でそれを追いかける。 鳥の羽根が一枚、ふわり……と落ちてくる。無意識のうちに手を延ばし、その羽根を掴む。確かな手応えを感じ、ジュリアスは満足して束の間の眠りに落ちていった。
 ジュリアスの手の中にある……掴んだ白い羽根……実際には、それは風に散って舞い落ちてきた 白いインファの花びらであったけれど……。 
 

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