水夢骨董堂細腕繁盛記外伝 『花影追憶』 
 宵闇亭クラヴィス回想録    
          /グラスの中の忍冬(すいかずら)

 
 しかし、セイント氏が私の母を後妻に迎える事を決めた時からジュリアスの私への態度は豹変してしまったのである。全てが英吉利式だった屋敷の中に露西亜や日本の様式が入り込むのをジュリアスは嫌ったようだった。

 私の目から見れば、母はなるべく自分の好みを出さない様に痛々しいほど努力していたように見える。セイント氏はそれを思いやってか、時々、日本や露西亜風の料理などを用意し私たちを喜ばせたが、ジュリアスにとっては父親が亡き母への思い出を館の中から消し去ってゆく行為に思えたようだった。

 加えてセイント家の親戚たちが、私たち母子の事をいろいろと悪くジュリアスに吹き込んだ。財産目当ての露西亜女と何処のモノとも知れぬ黒い髪の子ども……と陰口を叩かれ続けた。
 今までのように屈託なく接する事が出来ず、かといって素知らぬ振りをする事も出来ない、結局はお互いに自然に振る舞うことが出来ずにしだいに私たちは口をきかなくなってしまった。私がセイント家の一員になって三年経った頃に、母は風邪をこじらせてあっけなく死んでしまった。セイント家と私とを結んでいた絆は途切れてしまったが、行く宛もない私はこの家の迷惑にならぬように、勉学に励み続け、与えられたものだけに満足しているふりをして淡々と過ごした。母の死とともにセイントの館は元の通り全てが英国式に戻されてしまったが、それは幼い時をその土地の習慣に合わせて、適当に過ごしてきた私にとっては堅苦しい以外の何者でもなかった。
 
 そして何よりも辛かったのは、ジュリアスと私との間にある心の溝だった。私の心に巣くうジュリアスへの劣等感が彼に歩み寄る事を拒ませていた。

 そうして数年後、ジュリアスは大学進学の為に英吉利本国に帰って行った。私は上海に留まり、セイント財閥のひとつ、茶葉と珈琲豆を扱う小さな貿易商社を任されていた。社員は私を含めて三人ほどで、セイント家の血筋を重んじた重役たちの決めた体の良い人払いではあったが、かえって私には都合のいい居場所となった。

 やがてセイント氏も病気の為に他界した。ジュリアスは大学を卒業し、セイント財閥の総帥になる為に上海に戻ってきた。ジュリアスは古びた組織を改革し、自らの財閥を組み立ててゆく。前総帥が思いつくままに起こした小さな商社をひとつにまとめ上げて全てを把握できるように体系付けてゆく。私の任された茶葉の商社も例外ではなかった。

 それはまだ肌寒い三月の末、早朝会議の前に話があるからとジュリアスが銀の盆に乗せたモーニングティーとともに私の部屋に入って来た。

「重役の椅子を用意しよう、仮にもセイントの名を持つものが、茶葉輸入の主任程度の肩書きというわけにもいくまい」
 ジュリアスはティーカップをカチリと置いて真っ直ぐに私を見て言った。
「私は今のままでかまわないが……」
「私がそなたを、蔑ろにしていると思われては心外だ。生まれはどうであれ、そなたは私の弟という事になっているのだからな」
 ジュリアスの声は少しづつ大きくなってゆく。

「セイント家の親戚や重役どもが黙ってはいまい? 今更、財産目当てだと罵られたところでどうということはないが。革命以後、この街に流れ込んできた露西亜難民のお陰で私まで酷い言われようだったからな、お前は英吉利留学中だったので知るまいが……」
「老人たちには何も言わせない、私がこの家の主だ」
 私の言いようがカンに触ったらしく、ついにジュリアスは声を荒げる。

「ジュリアス……私はこの家を出ようと思う。セイントの名も返上しよう」
「何を言う!」
「使用人ならば我慢できても、身内となってしまえば耐えられぬ事もあったろう。お前には不快な思いをさせ続けたようだな。母が死んだ時にこうすべきだった」
「私は、何も!」
「もう自由になりたいと思う。私は赤子の時より各地を転々として育ってきたという。父もひとつ所にジッとしている事がなかったらしい。上海に会社を起こしてからも自ら買い付けに各地を回っていたらしい。その血が私にも流れているのだ。このままセイントの人間として飼い殺されるのは御免だ」
「飼い殺しだと?! そなたは……」
 ジュリアスが言うのを遮って私は小さく頭を下げた。

「ジュリアス、今まで世話になった」
 ジュリアスは返事をせず、行き場を失った視線を手元のティーカップに落とした。

 それから私はセイントの館を出て、たまたま売りに出ていた四馬路のはずれのカフェを買った。茶葉や珈琲豆の品定めで味だけはわかっているつもりだったし、その仕事で知り合ったものたちから直接安く仕入れる事も可能だったからだ。

 傾きかけた看板には『トワイライト』と日本のカナ文字が書かれてあった。最初は中國人の経営する飲茶館だったというその店は、天井と窓だけが中華風で、後は西洋風に改造してあった。入ってすぐに五つばかりのカウンター席があり、奧に丸テーブルが3つ、コンソールタイプの立派な蓄音機とレコードの入った棚が置いてある。帰国する事になり手放さなくてはならなくなった持ち主の日本人は英吉利製だという蓄音機を悔しそうに撫でながら言った。

「できればこのまま店を続けてもらえないか? 店の名前とか扱う食い物とかは好きにしてもらっていいが…このレコードを持って行けたらいいんだが、今の日本には西洋のレコードなんか持って行けないんでね、割られてしまうどころか非國民と罵られて命さえ取られかねない」
「わかった……音楽は私も嫌いではない」
「よかった。この店は西洋人もよく来るが、日本人の常連もいたから、奴等も喜ぶよ」

 この日本人の言った通り、オーナーが私に変わっても客層にあまり変化はなかった。どん底の貧乏という程ではないが四馬路中心部のキャバレーやダンスホールで遊べる程の金の無い西洋人や日本人が集まり、週末ともなれば入り乱れてあれこれと騒いでいた。

 常連たちは、この店を『トワイライト』と呼ばず『宵闇亭』と呼んでいた。言い出したのは日本人らしいが西洋人たちもその音が面白いのか「ヨイヤミテイ」と呼んだ。

 私は『トワイライト』のオーナーになって三ヶ月したところで、店の名を『宵闇亭』に変えた。
 店の備品も雰囲気も変わらず、まだ前のオーナーを尋ねてくるものも多い事に対する私のささやかな抵抗だった……。

  

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