水夢骨董堂細腕繁盛記外伝 『花影追憶』 |
遥か北と遥か東に私の血の源となった母と父の祖国がある。露西亜の灰色をした暗い空や凍てつく風の冷たさ、日本國の四季折々の美しい花々の香りも後に私が書物や人づてに聞いた心象でしかない。 だが時折、確かに私自身がそこにいたとはっきりと解る事がある。 消そうとしても決して消せない血に刻まれた記憶が、私自身をかたち造っているのだと、私は思う。母に伝え聞いた過去の話の断片を、大切に繋ぎ合わせる事で自分は何者なのかを確認し、それを忘れぬよう心の中で繰り返し思い出しながら生きて来たのだ。そうやって自分の所在を確かめながら、誰にも押しつぶされぬように生きて来たのだ。 ウラジオストクで私は生まれた。父は日本人で琥珀などの貴金属類を買い付けに来た商人だったと聞く。母の実家は一応は貴族だった。そう言われれば深い紫色した瞳や豊かに波打つ亜麻色の髪、軽やかな身のこなしに、なるほどと思わせるところがあったとは思う。 母の実家には継ぎ目のない見事な水晶玉が家宝としてあった。 父はその水晶玉を譲ってくれるように日程が許す限り、母の家を訪れ嘆願したという。これが元で二人は結ばれる事になった。母は私を身籠もり、そのまま実家の世話になりながら日本國と露西亜の間を行き来する父と、それなりに幸せに暮らしていた。 だがしかし、露西亜という國は変わろうとしていた。長く続いた帝政の最期……一九〇三年に誕生したボリシェヴィキ党に傾倒してゆくものが目立ち始め、貴族の家柄であった母の実家には絶えず監視がつくようになったという。日本國と行き来している父が密偵であるとの嫌疑がかけられて、私の祖父母はベルホヤンツクの親類の家に身を寄せ、父と母は私を連れて新潟に渡った。 ここから私たち一家の流浪が始まったのである。 |