「オスカー、いるでしょう。ここに逃げたのはわかってンのよ!」
「どちら様でしょう? オスカーなど来ていませんが?」
リュミエールは尚も警戒しながら言う。
「あ、アンタ、四馬路のキャバレーマリアのママじゃないのさー」
オリヴィエはその女を見て、声をあげた。
「お知り合いなんですか? オリヴィエ?」
「オスカーの馴染みのマリアって店のママだよ、まあちゃんって呼ばれてるんだよ。何度かオスカーと一緒に行った事あるんだけど……」
「オスカーがこっちの方に逃げたの見たのよ! 隠すとタメになンないわよっ」
「オスカーがどうしたのさ〜?」
オリヴィエは短剣を鞘に納めつつ聞いた。「どうもこうもないわよっ。オスカーったら夕べ、店でしこたま飲んだあげく、アタシの部屋に転がり込んで来て、一セントも払わず朝になったら消えてたのよ。南京路で見かけたから、払って頂戴って言ったら、お金が無いっていうから、それじゃ、アンタの銃を借金のカタに預かっとくって言ったら逃げ出したのよ!」
「………………」
リュミエールとオリヴィエは無言で女の話を聞き終えると、チラリと奧のカーテンの方を見た。やばい……。
「お嬢さん……」
とリュミエールはマリアの手を取った。
「貴女の様な美しい人を困らせるなんてオスカーはなんて悪い人なんでしょうね。あんな不良亜米利加男の事は忘れておしまいなさい。もしオスカーがここに来たら必ず、借金を払うように説得いたしましょうね」
「え……ええ……じゃあ、お願いしとく……わ」
マリアは顔を赤らめて、リュミエールの細い指に自分の指を絡ませた。「ねぇン……一度、店にいらして……。素敵なお方」
「ええ、お嬢さん、ぜひ」
にっこりとリュミエールは微笑んだ。「お嬢さんだなんて……まあと呼んでねン」
「わかりました、ごきげんよう、まあさん」
名残惜しそうにマリアは去ってゆき、水夢骨董堂のドアはギィーと軋むとパタンと冷たく閉まった。俺はすかさず店の奧の部屋に逃げて、窓から外に出ようと試みた。「オスカー……何をしているのですか?」
リュミエールの意地悪な声が俺の背中にグサッと突き刺さった。
「アイヤ〜、何と言うか……俺は騙そうとしたわけじゃなくて息が上がってて言うに言えず……」
俺は窓枠に乗ったまま言い訳する。
「アンタが城内に出向いてから、ワタシたち夕べは一睡も出来なかったんだよ……心配でね」
オリヴィエの声には言い知れぬ棘があった。「まあさんに貴方を差し出さなかったのは、武士の情けですよ」
「武士の情けって何だ?」
「サムライ・スピリッツ、男の友情、義理人情、ご飯は食べないんだけど爪楊枝はくわえる……えーと……」
オリヴィエがそれらしい意味を並べ立てたので俺はなんとなく意味が判った。「なんと気高い精神だ。日本のサムライは素晴らしい!」
「そう……侍は男の美学を背負っています……自分に非があった場合、潔く切腹して詫びるのですよ……オスカー、ふふふふふふ」
「ハ、ハラキリ〜〜」
「あ、この短剣貸したげるよ」
オリヴィエは短剣を俺に差し出した。いらん、そんなものっ。「介錯つかまつりまする……」
リュミエールはそういうと売り物の日本刀をシャキンと抜き、俺に迫ってきた。ちなみにその刀は、拝イットーとかいう武士の持ち物で、その息子のダイゴローとかいう今は日本人租界で柳生屋という蕎麦屋をしている男から、買い入れたものらしい。
「よ、よせ、冗談はよせ。誤解だ、これには事情があって……あ! あああっ」
窓の外は隣家の空き地だ、落ちても大した事はないと油断した俺が浅はかだった。「落ちたね……」
「そうですね……確か、窓の外はお隣の庭ですよね……」
「うん、鶏とアヒル放し飼いにしてたっけ?」リュミエールとオリヴィエがおっとりと話しながらまだ起きあがれない俺に向かって言う。どこからか、クワッ、クワッ、クワッという鳴き声が一段と激しく響いてくる。次いでガーガーガー。
「おお、うるさい事」
「そだねー、窓閉めておこうねー鍵もかけちゃおーっと。そうしよーっと」
「さぁ、オリヴィエ、店を開けましょう、商売商売」
リュミエールとオリヴィエは嬉しそうに窓を閉め店に戻って行った。俺がこの後、アヒルと鶏に突っかれまくり、玉子泥棒よばわりされて隣家のジジィにほうきで叩かれながら逃げ出さなければならなかった事は忘れよう。だが、しかしオリヴィエとリュミエール、お前たちへの復讐はこのオスカー、忘れはしない。決してな。
−END−
◆オスカー探偵事務所 事件ファイル#28◆ 立木勝利捜索依頼……1926年8月14日解決済
報酬……堯氏より未払い
◆表紙◆