夕焼けの中、事務所のあるファイヤービルヂングの近くまで戻った俺は、自分をここ数日付けていた男が、たむろしている車夫たちに何やら話しかけているのを見かけたので、そのまま引き返し、南京路を出て四馬路に入り馴染みの店に行った。そしてそのまま事務所には戻らず店の女と踊りあかしたあと、酔った弾みで女のアパートに時化込んだ。久しぶりのいい夜だった。

 昼過ぎ近くになってスッキリ目を覚ました俺は、まだ隣で寝ている女の寝台からそっと抜けだして、本当に死体があがったかどうかを、確かめる為に上海北駅付近まで行ってみた。相変わらずの蒸し暑さだったが、俺の足取りは軽かった。

 北駅前のお喋り好きな煙草屋の老婆に、それとなく近づいて俺は言う。
「俺はブン屋なんだが、今朝方、このあたりで仏さん上がったんだって?」
「そうさ、この裏の沼でね。早耳だね、殺しなんて珍しい事でもなかろうに、大した人物なのかい、仏さん?」
「こっちが聞きたいぜ、タレコミがあったから、美味しいネタかもと思って来てみたんだが」
「知らないよ、仏さんは日本人らしいよ。軍人さんが何人か来て、仏さんを丁寧に運んでったから、そこそこ身分のある人かとアタシは睨んだね」
 少し得意そうに老婆は言うと煙草を俺に差し出した。パッケージに綺麗な女が描かれた美麗という煙草の箱を俺は開けると一本加えた。すかさず婆さんが歯のない口を開いて、意味ありげにニヤリと笑いつつ火を差し出してくれる。

「へぇ、身分ある人の死なら、そこそこのネタになるじゃないか、婆さん、もっと何か知らないか?」
 俺は婆さんがまだ何か知っているだろうと睨んで、釣り銭を財布にしまわずにチャラチャラと音を立てながら見せつけた。
「アタシら、すぐに見せ物じゃないって追い払われたからね……ああ……そう言えば、軍人の一人が別の軍人に、内地の身内に連絡してやれって言ってたね」
「名前、聞いたんだろう? スズキと言わなかったか?」
 俺は、釣り銭を婆さんに一枚くれてやった。
「いいや、スズギじゃないよ、タチキだよ」

 それを聞くと俺はホッとして煙草屋を後にした。そして事務所に戻る前に無事を知らせてやろうと、水夢骨董堂に向うつもりでいた………のだが……俺はまた追われる身となってしまった……。


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